ふるさと直方フォーラム

《目標スローガン》 “人とモノとカネが往来し、循環する直方と筑豊を創ろう‼”  ふるさと直方と筑豊の再生に取組む主体をふるさと直方を愛するみんなで創ろう❣

長崎街道の歴史と文化の伝統を活かしたい 2023.3.9

 珍しいタイプと思いますが、私は深夜などに目が覚めたとき、スマホでNHK・World・Japanを見聞きしています。どのプログラムを見ようか聴こうかと思ってウロウロしているとき、「長崎街道」(約27分)に気づきました。サイクリングで長崎街道を走るものらしく、これは面白そうと早速見ました。

 

番組は、長崎街道の東のスタート地点、小倉から始まる4日間のサイクリング旅です。b小倉の常盤橋からスタートし、次に黒崎の商店街が写っています。その後、どこにでもあるような細い路地を走り、長崎街道の別名になっているという“シュガーロード”に関係する金平糖を作る工場とか冷水峠などが出てきます。そして鳥栖あたりから佐賀に入り、恵比寿さんの像をあちこちで見かける佐賀の宿場町や有明海の干潟などを通り過ぎて長崎の港風景を写して終わっています。

 

驚いたのは4日間のサイクリング旅をするのがイギリス人医師であることです。それにもかかわらず、その彼が各地での具体的な経験から、私たち日本人でもあまり気づいていないと思われる長崎街道に関わる人々の歴史や文化を敏感に感じとっているのです。たとえば、長崎街道全体が古い宿場でつながっていて、それぞれの宿場に独自のコミュニティ性が感じられること、そして、それぞれのコミュニティ文化は今も健在であり、明るく豊かな未来につながっていると感じるといった感想です。

 

江戸時代、鎖国政策により日本が世界から切り離されたとき、長崎の出島が外国貿易に開かれた唯一の港であり、外国からの新しい思想、文化、技術が長崎街道を通って日本に持ち込まれたことは義務教育の歴史で習って誰でも知っています。これに加えてイギリス人医師は、長崎街道に関わる人々が、外国からの新しい思想、文化、技術を受け入れ、それに適応するというオープンな姿勢で独自の歴史と文化を生み出してきたとの感想を述べています。

 

残念なことは、イギリス人医師の4日間サイクリング旅もそうですが、黒崎から先の鳥栖に至るまでの間に、直方や飯塚などでもそれなりの宿場とか長崎街道に関係する歴史があったでしょうに、私が不勉強で知らないだけかもしれませんが、ほとんど取り上げられていません。

 

私は、交易と人の往来をはぐくんだ長崎街道に関係する歴史的事実がきちんと記憶にとどめられ、継承していく教育システムとか社会活動がもっとあっていいと思います。たとえば、長崎街道とほとんど平行する遠賀川河川敷のサイクリングロードを活用し、黒崎、木屋瀬、直方、小竹、飯塚など筑豊の地域を小中学生や市民が行き来する交流イベントであるとか、交易と人の往来の歴史を学びながら経済活動の機会にするような取り組みができないものかと思うのです。