ふるさと直方フォーラム

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2019直方市長選: 総括壬生市政 第7回 文化政策は歴史的経験を踏まえ良識ある矜持を保て 2019.3.7 3.21

3.壬生氏は施策方針として文化政策の推進を掲げている。普通に文化といえば、芸術文化であるとか文化人類学の言葉を思い付くが、文化政策の推進とは具体的にはどのようなことか、その意図なり目標が明示されていないのでよく分からない。金と経済成長、最近だと効率性に目が眩み、人間社会に欠かせぬものを見落としがちな気配がずっとあるから、第一印象としては「文化政策」は悪くないという気もする(20年以上前になるだろうか、橋下徹大阪府知事になった頃、大阪センチュリー交響楽団に対する補助金全額カットを言い出して楽団の世話役をしていた水野武夫先生が奔走されていたことを思い出す)。

 

しかし、やはりそれ以上に、政治や行政のトップに立つ者が公共政策として文化政策を言い出すと違和感を抱き警戒してしまう。秦の始皇帝孔子の教えを信奉していた儒家を弾圧し、儒教に関する書物を焼き捨てたり、秦の政治に批判的な学者数百人を穴に生き埋めにした焚書坑儒は世界史で学んだ。また、団塊の世代である私には、毛沢東時代の「文化大革命」を好意的に垣間見た苦い経験がある(西園寺公望の孫である西園寺一晃が1960年代10年間の中国居住体験を綴った『青春の北京』(中公文庫1973年)を疑うことなく共感して読んだ)。

 

なにも中国や外国の例を出さずとも、日本にも戦前の大正時代、宗教弾圧として知られる大本教弾圧事件があったし、戦時下では総動員体制を進めるため、「ぜいたくは敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」の生活スローガン、あるいは幕末の尊皇攘夷から戦争中の「鬼畜米英」の押し付け信仰があった。最近、雲行きが怪しい日韓関係絡みでも10年以上になるだろうか日本文化の開放が言われたし、その頃からだったか韓国ドラマ「冬のソナタ」など韓流ブーム現象もある。

 

言いたいのは、文化は政治(的思惑)とそれほど明確に区分できないこと、したがって、敵対や陰謀、弾圧や抑圧の歴史が繰り返されていることを踏まえると、抑圧か奨励のいかんを問わず、文化政策の名のもとに為政者が思想や宗教・信仰はもちろん国民の生活スタイルに安易に立ち入ることは無用な疑いを招きかねず避けるべきではないか。良識ある矜持を保てということである。国レベルでは文化庁が、自治体では教育委員会など、通常の行政部局からある程度独立した部局が文化財保護を担当しているというのもそういう意味で理解できる。

 

翻って考えてみると、ギリシャ・ローマ時代の昔から、また江戸時代の文化文政の頃や戦後の日本を見ても容易に理解できるように、経済生活が安定した社会を実現すれば、そのあとに文化の華は自ずと開くことも歴史的な真実である。そういう意味では、当面30年後を目標に持続する直方を創造しようとする努力こそが明日の直方の文化を生み出す創造的な挑戦ということになるだろうし、そうした努力の軌跡の中から自ずと新しい文化が育っていると信じる。 

 

もちろん、直方が歩んできた歴史に関わる記念碑的重要なものはしっかりと保存すべきである。恥を忍んで私の無知をさらけ出すが、長崎街道は小倉常盤町、黒崎、木屋瀬のあと、小竹町に入る前に直方市内を通過しているのではないだろうか。記念碑的なものがあると聞いた覚えはないが直方が歩んできた歴史と意味合いに関わるから知りたい。佐賀屋の客座敷の造りなど凄く風情があり、消失させてしまうのは余りに惜しい。生活文化の記念建築として保存公開する手だてを考えてほしい。地名だって、御館山や西門前町、二字町、山手町などの町名をすべて大字直方○番地にしてしまっている。同和対策の一環だという話を先日聞いたが、それぞれの町名に愛着をもって育った人間の気持ちを考えると、荒療法すぎるのではないか。

 

仄聞するところでは、旧直方駅舎、石炭記念館の坑道保存、あるいは日若踊り保存会などを市の事業として、あるいは補助事業として公金を支出しているようである。しかし、石炭産業は国の殖産興業政策の中核として官営八幡製鉄所とともにエネルギー政策の中心事業として遂行されてきたものであるから、坑道保存などは経済産業省なりにきちんと話を通せば、国の(補助)事業としていっそう拡充された形で実現できるのではないか。同様に、旧直方駅舎もそうであったが市内に残る歴史的建造物についても、国交省の都市計画事業あるいは文化庁の事業として効果的効率的に保存できる可能性はないか、念のため再チェックしてほしい。ただ、日若踊りなど一部市民の活動に関わることは、財源の多寡にもよるが、受益者の普遍性にやや問題があるように思われる。また政治的思惑からする人的つながりを狙う施策との境界も不鮮明であるから、少なくとも乏しい財政から無理に搾り出してすることではないように思われる。

 

  最後に、先日、シンポジウム「直方の歴史まちづくりを語る」のポスターを見た。

ポスターの中にある旧直方駅舎を見ると、福智山同様、その懐かしさにはあがらいがたいものがある。

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 しかし、このシンポジウムだけなら素直に称賛できただろうが、これまでの「総括壬生市政」で検討してきたように、前例踏襲と利権トライアングルの農林水産省との人事交流や趣旨不明の企業誘致と企業訪問懇談、そして人口減少と財政破綻に備えた取り組みがなされていないことが頭から離れない。

そうすると、選挙の公示日も近い日時に、こうした文化や歴史関連のイベントを、市が市政戦略室を事務局にして主催し、壬生氏自身もパネラーとして出席するというのは、発想の大元に政治的思惑が見え見えで卑しさすら感じる。

 例により「違法でないから構わない」というのだろうが、首長としての分別に欠けるし、市民みんなで大切にしなければならない市民文化を食い物にして政治利用するのは止めてほしい。それほどに適法性のみを重視し「違法でないから構わない」という信念で行動するというなら、私が半年くらい前から指摘している市HP(企画経営課 企画経営係 更新日 2019年03月14日)の「直方市総合計画は、直方市が策定する市の全ての計画の基本として、行政運営の総合的な指針となる計画です。地方自治法第2条第4項の規定により定めるもので、市の計画のうち最も重要な計画といえます。」の誤りに気づき、法曹に携わる者として早急に訂正し市民に謝罪してほしい。

 

今、直方市の市長として一番求められているのは、子供や孫たちにどれだけ希望ある未来を責任をもって継承できるかである。「歴史的財産をただの昔話のノスタルジーに終わらせないために、…過去から未来へ引き継ぎ、生かしていく」という意気込みは立派であるが、人口半減と財政破綻の大波が襲ってこようとしているとき、希望溢れる直方を現実化させる戦略と手法を描かないまま、ノスタルジーだけに浸ることは許されない。