ニュースを見ていると、シリアなどからEUに入ろうとして苦難する難民の姿が毎日のように報道されている。それを見て思うのは、私の場合あくまで他人事としてしか捉えられないから、「日本に生まれて良かったな!」「EUに受け入れてもらえる何の保証もないのに、身体一つで、しかも小さな子どもたちまで連れて、徒歩で国境までやって来るなんて、難民が負っている深刻さの背景事情など、私たちにはとても理解できないな!」といったものである。
ところで、半年以上前になるが、私の知人が、「直方に難民や移民を受け入れる施設を造れないものかな!?」とつぶやいたことがある。私の道の駅構想に対する知人としての提案であったと思う。以来、国際的な人道支援の見地からだけでなく、直方の人口減少対策や受け入れによる文化や経済活動の多様化といった観点から、私も時々であるが考えてきた。
そして昨日(3月2日)、東京でNPO関係のシンポジウムに参加していて、たまたま隣の席に座っていた方と短時間だが話をする機会があった。その方は笹川平和財団に勤めておられる方で、同財団は、難民の第三国定住のよりよい制度設計や定住支援のあり方について提言を行っており、年間500人の受け入れを目標とする活動をしているという。言葉や生活習慣面での初期の受け入れから経済的な自立をサポートする就労支援まで、受け入れにはさまざまな支援施策が必要になろうが、難民受け入れを具体的な形で取り組んでいる団体があることを知ってとても嬉しい驚きがあった。
難民や移民を受け入れることにはもちろんメリットとデメリットがある。難民流入による治安悪化は確かに真剣に考えなければいけない問題であるが、たとえば家族単位での受け入れとするなどにより、デメリットを押える工夫はいろいろあるはずだ。それに私は、私たち団塊の世代がそうであるが、直方出身者がたくさんいる間は移動人口に着目したふるさと政策が有効だと思っているが、都会で働く直方出身者が少なくなっていく30年位後を見据えると、定住人口を少しでも増やすことに軸足を移さないといけないと思っていたから、難民や移民の受け入れは大いに検討する意義のある課題だと思う。
振り返ってみると、名誉なことではないが、終戦前、筑豊炭鉱には、朝鮮半島からの強制労働者が相当数いたと聞いている。つまり、異なるふるさと出身者と同じ地域で暮らした経験が私たちにはある。そこで、単に人口減対策のためというだけでなく、異なる文化を持つ人たちを受け入れ、お互いの異なる文化を学んで、お互いスケールのより大きな人格を形成し、そうして経済的な交流もさらに高めていくといった方向性で、難民と移民の受け入れに取り組むことができたらと考える。
ここまで書いたところで、ジョン万次郎*のことを思い出した。私たち直方も、ジョン・ホーランド号船長のホイットフィールドやアメリカのような度量をもって現代の難民問題に向き合うことはできないものだろうか。
※ ジョン万次郎 江戸時代末期、14歳で漁に出て遭難した後、アメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって助けられ、船長のホイットフィールドに連れられてアメリカに渡り、船長の養子になってマサチューセッツ州フェアヘーブンで暮らし、学校にも行って約10年間、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学んだ。帰国後、土佐藩の教授に任命されたが、幕府に招聘されて直参旗本にもなり、万延元年(1860年)には日米修好通商条約の批准書交換の海外使節団の一人として咸臨丸に乗り込み、翻訳と通訳、造船分野で活躍した。
その他、以下のHPをご覧ください。
〇笹川平和財団『日本におけるよりよい第三国定住に向けて 提言書』https://www.spf.org/publication/detail_16075.html