ふるさと直方フォーラム

《目標スローガン》 “人とモノとカネが往来し、循環する直方と筑豊を創ろう‼”  ふるさと直方と筑豊の再生に取組む主体をふるさと直方を愛するみんなで創ろう❣

「シティ・マネージャー」という都市行政の請負人

 「流しの公務員と地域創生」という、共感できて面白い記事を見かけた。NHKの「視点・論点」2017年05月10日 (水)に掲載されている記事で、常滑市副市長の山田朝夫氏が執筆したものだ。

 「流しの公務員」とは随分、砕けた言い方だが、その具体的な内容は、「自治体の現場でトップを補佐し、現場の問題状況を整理し、戦略や実行計画を組み立て、国の政策の意図をきちんと理解しながらうまく利用し、執行状況を管理し、より良いまちを作っていく手伝いをする」というものだ。

 たしか、アメリカでは規制改革が強く叫ばれた1980年代から上記のような役割を担う「シティ・マネージャー」という都市行政の請負人がいて、支配人的な役割を果たしている(このとき、市長は名誉職的なポストである)。

 わが国の地方自治法の下で、「シティ・マネージャー」のような請負契約を結ぶことは想定されておらず難しいだろうが、ほとんどの市長は経営的観点も取り入れて戦略的に行政を運営することは不得手だから学ぶべきことは多いはずだ。

 記事の全文は下記アドレスで読んでいただきたいが、冒頭部分を紹介すると以下の通り。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/270349.html

 私は「流しの公務員」です。

「流しの公務員」なんて、聞いたことのない職業だと思います。それもそのはずで、実は私の「造語」です。「各地を渡り歩き、求めに応じて、単身、地方行政の現場に飛び込み、関係者を巻き込み、その潜在力を引き出しながら、問題を解決していく『行政の職人』」、そんな「職業」を表現したことばです。

私は、元々は、1986年(昭和61年)に、当時の自治省(現在の総務省)に入省した、いわゆる「キャリア官僚」でした。自治官僚は、入省後の10数年間は、霞が関地方自治体を行ったり来たりしながら仕事をします。私も、霞が関以外に、鹿児島県庁や大分県庁で勤務し、その間、いくつかの市町村の職員の方々とも、一緒に仕事をしました。

入省後10年ほどが過ぎ、35歳になった私は、ある問題意識を強く抱くようになりました。一言でいうと、「国も県も市町村も、職員はみんな頑張っているのに、何かズレるなあ」ということです。

私は、ズレの原因は、次の3点だと考えました。

1点目は、霞が関の問題です。官僚の仕事は、すごく抽象的です。ほとんどの官僚は、猛烈に忙しくて、現場を見ている暇はありませんから、頭の中と机の上の議論で政策をつくります。しかし、いくら優秀でも、すべての現場の多様な問題を、一挙に解決できるような政策をつくるのは無理です。
さらに、省庁間の「縦割り」の弊害がひどく、当時は「省益あって国益なし」と言われていました。

2点目は、自治体側の問題です。国が政策を決めても、それを実施するのは地方自治体、特に市町村です。地域の現場は多様です。市町村は、現場の実態に合わせて、国の政策をアレンジして、もっと自由にやった方がよいのに、当時は、みな委縮して、国の指示通りにやることに甘んじていました。
たまに県に相談すると、「グレーゾーンのものは、国の言うとおりにやった方がよい」という「中間管理職的」な答えがほとんどです。結局、市町村は、せっかく「縦割り」の弊害を排して「総合行政」を行える立場にあるにも関わらず、自分で考えることを放棄して、前例踏襲を繰り返していました。

3点目は、自治体のトップの問題です。自治体の「首長」は「政治家」と「経営者」の2つの側面を持っています。ところが、その仕事ぶりを見ていると、政治家として「会合」や「行事」や「挨拶」に割かれる時間が非常に多いのです。政治家の主な仕事は、利害の調整や利益の分配です。国や地域全体のパイが増えているうちは、それでよかった。しかし、人口や経済が徐々に縮小していく自治体のトップには、民間企業のトップと同じような「経営者」としてのマインドとスキルが求められる。しかし、現実は、役所や住民のマネジメントに割く十分な時間すらない。

「せっかく『地方行政』を仕事として選んだのだから、従来の『キャリア官僚』のあり方にこだわらず、私自身が、これらの問題を解決する『ツール(道具)』になれないだろうか?」

そう考えた末に思いついたのが、「流しの公務員」の道でした。「自治体の現場でトップを補佐し、現場の問題状況を整理し、戦略や実行計画を組み立て、国の政策の意図をきちんと理解しながらうまく利用し、執行状況を管理し、より良いまちを作っていく手伝いをする」。高度成長社会から成熟社会へ移行していく日本には、そういう役回りをする人間が必要なのではないだろうか。

もちろん、当時の日本には、そんな職業はありません。ただ、調べてみると、イギリスやアメリカには、まさにそのような役割を担う「シティ・マネージャー」とか「アドミニストレーター」と呼ばれる人達がいる。
彼らは、日本の自治体の「副市長」とか「企画部長」のように、いわゆる「生え抜き」ではありません。年俸制で、一定の任期を設けて公募で選出され、行政の事務方のトップを任される。ヘッドハンティングされて、複数の自治体を渡り歩く人もいる。
彼らは、政治的な判断はしない。情報を分析して複数の政策案を立案し、議会や市長が決定した政策の実施について、統括して責任を持つ。まさに「行政マネジメントのプロ」です。 (以下、略)


ゆたかな噴水型社会か虹色のシャワー型社会

以下、本文中のアンダーラインは消したいのだが、消せていません。アンダーラインはないものと無視してください。

 

 持続可能な社会を目指すことは、持続可能な開発(Sustainable Development, SD)を謳った1992年国連地球サミットにおける「環境と開発に関するリオ宣言」以来、今や環境のみならず、政府の社会保障やそれに関連する税や財政の分野でも、基本的で中心的な考え方になっている。

 

 ところで、地球環境アースディの頃に毎年開催されている国立環境研究所の公開シンポジウム2017「私たちの安心・安全な環境づくりとは-持続可能性とその課題-」に申し込もうとして、今日久しぶりにそのHPに入ったのだが、そこで非常に興味深い「質問」に出くわした。

 

それは「日本が持続可能な社会に向かって発展しているかを複数の指標でモニタリング」するというものだが、そのとき持続可能な日本の社会像を以下の2つ提示し、それぞれの社会への進捗状況を客観的なデータに基づき示すという手法を用いている。皆さんは2つのうち、どちらの持続可能な日本の社会像に賛成ですか?

 

私は、持続可能な社会の視点から今日の進行状況を正しく認識し、それをまちづくりや地方再生の施策提案に活かしていきたいと思っていますが、皆さんも是非一度、ビジットしてください。

http://www.nies.go.jp/social/japansdi/index.html

 

ゆたかな噴水型社会 f:id:FurusatoDosouForum2015:20170510215737p:plain

「ゆたかな噴水型社会」とは、日本のあらゆる資本、すなわち自然資本、経済資本、社会資本、個人資本を効率的に用いて、高い経済成長につなげていく社会です。高い生産性の結果、人々が利用できる経済フローの総量が増えます。増加した経済フローは、これ自身が経済的豊かさを生み出していることを示しますが、それだけでなく、他の目標(環境、社会、個人)の達成度も高めるのがこの社会です。

「ゆたかな噴水型社会」に至るポイントは、①資本が効率的に利用されること、②高い経済成長に確実に至ること、③達成された高い経済成長が、必ず、経済分野以外の目標達成を推進し、資本の保全に有効にあてられることの3つです。以下には、このような社会への発展状況を計測する指標のうち、日本国内で時系列データがそろっているものを優先して選定したヘッドライン指標(主要指標)を示します。指標の動向などが色で示されていますので、日本の現状をご覧ください。

データ更新日:2016年1月1日
 
虹色のシャワー型社会 f:id:FurusatoDosouForum2015:20170510220329p:plain 

 

「虹色のシャワー型社会」では、高い経済成長を維持して資本ストック増大に回すのではなく、ソーシャルネットワークなどの人々の相互支援で成長を補うことを重視します。健全な形で蓄積された各種の資本は、社会の構成主体(人間のみならず、環境や動植物などすべての構成主体を含める)に公平に分かち合われ、それぞれに有効に活用されることで多様な目標実現を可能にします。

「虹色のシャワー型社会」に至るポイントは、①達成状態の多様性が尊重されること、②それらの達成に向け、多様な資本の維持が(経済的目標達成よりも)優先されること、③存在する健全な資本が、必ず、社会のすべての構成主体に公平に分かち合われ、多様に活用されることの3つです。以下には、このような社会への発展状況を計測する指標のうち、日本国内で時系列データがそろっているものを優先して選定したヘッドライン指標(主要指標)を示します。指標の動向などが色で示されていますので、日本の現状をご覧ください。

 

 

地方議会は町村総会以上の存在意義を発揮しなければいけない!

   過疎化と高齢化が進む高知県の大川村は、今後、村議会議員のなり手が不足するおそれがあるとして議会そのものを廃止し、有権者が直接、予算などの議案を審議する「町村総会」の設置について検討を始めたという。 「町村総会」は、地方自治法の94条と95条に規定されていて、町や村の議会に代わって有権者自身が集まり、自治体の予算や条例などの議案を審議し・議決する制度だが、住民が直接的に自治体の重要事項に関与するだけに、容易に長所や問題点が浮かび上がる。

 

 ただ一つ、絶対的に言えることは、有権者から選ばれ、相当の報酬を受け取る現在の議会制度は、議員と議会に求められる役割を常に緊張感をもって遂行し、少なくとも町村総会」を設置する場合の数倍以上、その存在意義を発揮しなければいけないということだ。 

 

 

 

道の駅構想と周辺地域との交通の流れ

toyokeizai.net

 

 京都府唯一の村・南山城村地域活性化の起爆剤として道の駅をオープンしたところ、休日に村の人口約3000人の2倍以上の観光客らが押し寄せ、村内の主要な幹線道路が大渋滞し、苦情も殺到との読売新聞記事(2017年04月28日) を見た。

 

 私が提案する直方活性化のための道の駅構想は、道の駅を中心に、キャンピングカーのための駐車滞在施設、スポーツ健康ジム(古河市にあるジャグジー風呂やサウナもある施設を紹介済)、子供たちが屋外でのびのびと遊びたくなる児童公園(千葉県柏市の総合競技場に隣接する柏の葉公園内の施設を紹介済)、そして地元に住む人々が憩い、語らうことのできるレストランや図書室などを併設することを考えている。

 

 私の提案は、地域活性化の起爆剤として成功し、教育水準の向上にもつながっていくことを強く確信しているが、人口の2倍以上の観光客らが押し寄せて周辺の幹線道路が大渋滞して苦情が殺到しないようにする対策までは、考えていなかった。核となる道の駅を中心に、北九州、宮若から宗像方面、田川から行橋、飯塚から博多方面との交通の流れを十分に予測した準備が必要だ。

 

 

健やかで幸せに暮らせる「健幸都市」だって!

今日、NHKのニュースで、全国およそ120の自治体が参加する「健幸都市」の実現の取組みに関するニュースを見た。

 http:// http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170215/k10010877351000.html

 東京五輪・パラに向け 健康増進を進める全国組織発足へ  2015.2月15日 11時39分

 

どうすれば健康老人を作り出せるか工夫しないで、ただ無作為に要支援・要介護の高齢者を作り出し、その後は画一的で無味乾燥な介護制度に委ねるだけのこれまでの介護保険制度に対しては、私たちも、古河市のスポーツ交流センターの取組みと写真を紹介するなどして、発想の転換を強く主張してきました。 

高齢化社会で医療費の増大が課題となる一方、健康づくりによる医療費の抑制につながる健康増進を狙って、100を超える自治体がさまざまな施策を考える初めての全国的な組織「日本健幸都市連合」を発足させるという。 

健康で幸せな老人を作り出すというのではなく、関心の拠り所が、医療費の抑制につながる健康増進を狙ってという発想が、若干抵抗があるが、大局的には、まあ同じ土俵に上ろうとする取り組みであり、とりあえず、応援したい。

 

以下、コピー引用。

「具体的には、スポーツや健康づくりに参加した人にポイントを与える健康ポイント制度の導入や、診療報酬明細書のデータ分析を生かした糖尿病の重症化の予防など、先進的な自治体の取り組みの情報共有や新たな施策の検討、さらに、リーダー的な役割を果たす職員どうしの交流や研修を行うということです。 ・・・

健康ポイント制度とは

健康ポイント制度は、「健幸都市」を目指す先進的な自治体が行っている取り組みの1つです。 健康づくりのために、スポーツをしたり健康診断を受けたりするとポイントやマイレージがたまり、食べ物や商品券などに交換できるシステムです。・・・

スポーツ庁の平成26年度のまとめによりますと、全国260を超える自治体で行われているということです。 実際に医療費の抑制効果があることも実証されていて、全国6つの市を対象にした最近の調査では、1年間の医療費が参加しなかった人に比べて1人当たり5万円余り抑えられたことがわかり、シミュレーションでは全体の医療費の抑制効果はおよそ5億3000万円に上ったということです。」

資本主義に「成長」は必要か!? “成長がなくても幸福で活力ある社会を築けるか”

  私は、普段、行政法の法解釈を中心に、地方自治法や環境法に関して、政策法務と地方再生・ふるさと創生の観点からの施策を考えているが、実はその背後でいつも気にしていることがある。それは、“成長がなくても幸福で活力ある社会を築けるか”だ。対極にある一つの考え方として、雇用確保のためにはデフレからの脱却が不可欠で、そのためには経済成長が必要という考え方がある。

 そんな私の問題意識に真正面から答えてくれそうな3冊を紹介する記事を見かけた。是非、皆さんもまずはこの紹介記事を読んでいただき、1冊でも読まれたら意見と感想を聞かせてほしい。      


    私はふるさと直方の再生を可能にする基本的な考え方として、「地域内循環」を可能にする施策をメインに考えているつもりだ。「地域内循環」を可能にする施策は「持続可能な開発」の理念を具体化する持続可能な開発とも連結し整合するはずである。

   そして、上記のように考える私は、「アベノミクス」は、いずれ持続可能な開発とはそりが合わなくなるし、「地域内循環」とも対立すると信じいる。それでも、雇用確保のためにはデフレからの脱却が不可欠で、そのためには経済成長が必要という考え方を完全には払拭しきれず、ある程度は正しいかもと思うときもあるというのが正直なところだ。

 この紹介記事を読んで1冊でも読んでいただいて、是非、皆さんの意見と感想を聞かせてください。book.asahi.com に入れば勿論読めるが、なにかの理由で入れない人のために、以下にこの記事の全文コピーを貼り付けておこう。

 

資本主義に「成長」は必要か アベノミクスに踊る前に

[掲載]2013年02月18日 

アベノミクス」で、世間が踊っている。企業が活動しやすいように規制緩和を進める成長戦略などの3本柱を掲げた安倍政権に、株式市場は活性化。アベノミクスを扱った本もヒットする。だが、メディアであまり論じられない疑問も残されている。いわく、資本主義社会に、〈成長〉は必要不可欠なものなのか?  エコノミストの水野和夫さんは、『資本主義という謎』(大澤真幸氏との共著)などで、「20世紀末から、世界は成長なき時代に突入した」という歴史観を世に問うている。  成長、つまり国内総生産(GDP)で計る経済活動の規模は、通常なら年数%ずつ大きくなるのが、近代のいわば常識だった。水野さんによれば、17世紀に始まった西洋型資本主義は、フロンティア(辺境)とコレクション(蒐集〈しゅうしゅう〉)が不可欠だった。欧州諸国は米新大陸やアジア、アフリカのフロンティアを“発見”。石油ほか自然資源を安く調達し、自国の工業製品を高く売りつけ、富を蒐集してきた。投資(冒険、賭け)によって、単なる貨幣を増殖させ資本へと転化するのが資本主義の基本設計だ。  「しかし辺境は必ず消滅し、蒐集は必ず過剰になる。BRICSなど新興国が成長した現在、辺境はなくなり、蒐集によるカネ余りで、先進国の投資機会はなくなっている」  (1)辺境から資源簒奪(さんだつ)の果てに同時多発テロが起き、(2)「国内の低所得者」という辺境を無理にでっちあげて住宅ローンを貸し付け、サブプライムローン問題とリーマンショックを招来、(3)安価に入手できなくなった石油にかわるエネルギーを切望しての果てに福島原発事故。9・11→9・15→3・11は、西洋型資本主義のひとつながりの断末魔だ――。水野史観のハイライトだ。  1997年以降、日本は世界に先駆け、長期金利が2%を切る超低金利時代に突入した。「利子率革命というべき異常事態で、世界史の中でも3回しか起きていない」と水野さんは語る。「日本の低成長を、好況⇔不況の単なる景気循環だと理解すると、歴史を見誤る。むしろ、成長がなくても幸福で活力ある社会をどうやって築くかが問われている。公共事業など財政支出に金融緩和、成長戦略を3本柱としたアベノミクスは政策として支離滅裂。アベノミックス(ごちゃまぜ)です」と強調する。  一方、『官僚の反逆』などの著書がある評論家の中野剛志さんは「国の最も大事な役割は雇用対策。労働とは生きる糧を得るためだけでなく、『自分も世の中に存在していい』と確認できる承認の問題だから。そして雇用確保のためには、絶対にデフレからは脱しなければだめだ。成長うんぬんとは別問題」という。  その前提のうえで、低成長論者が陥りやすい落とし穴を指摘する。一般に「経済成長こそ貧困をなくす」といった反論があるが、中野さんはさらに広く、世代問題の視座も提供する。  「『世の中にはモノがあふれている、無理に需要を喚起するのは地球環境にもよくない』と低成長論者は主張するが、需要には現在の消費だけではなく、将来世代のための投資も含まれる。自分たちは先行世代の投資のおかげを被ってきたのに、年金や医療が心配だから、子供世代のための公共事業まで削れという低成長論者は、私に言わせれば不道徳。ふしだらだ」  長い歴史のスパンで見ても、人類の経済規模が拡大していく「成長の時代」は、ここ250年の出来事に過ぎないとも話す。「成長の時代の前は、戦争と飢餓の時代。そこに戻っていいのでしょうか。英のサッチャー、米のレーガンに始まる新自由主義的な政策のために、この30年間、世界経済は成長できなかった。利益を求めるあまり投資の視野が近視眼的になり、かえって成長できなくなった。その、失敗した事実をまずは認識しましょうということ。私は経済成長を絶対視しているのではない。成長をあきらめる前に、まだやることがあるでしょうと言いたいんです」(中野さん)  ライターの鶴見済さんは消費社会に背を向けるようになって10年近くになる。新商品チェックをやめ、極力自転車で移動、友人と畑を耕し、余った野菜は近所の知人にあげたり、かわりになにかをもらったり。「人は、経済のため、成長のためと言われると、思考停止してしまう」。そんな疑問から昨年、『脱資本主義宣言』を出版した。  「半農半Xでも、リサイクルやシェアが中心の贈与経済でもいい。国や地域や人によって、市場とは別のつきあいの場、“界隈(かいわい)”をそれぞれが作れればいい」  「成長なき社会」とは、いったいどんな社会なのか。移動も活気もない、ヨーロッパ中世の暗黒時代?  水野さんはその見取り図を「労働時間短縮とワークシェア」とゆるくイメージ。中野さんは「低成長で雇用が確保できるのか。うまく想像できない」。鶴見さんは「『成長はないが幸せな社会とはこんな社会』と明示できないことこそがむしろ重要。共産主義じゃないんだから」と話した。  「ユートピアを構想する者は、そのユートピアでの独裁者だ」。そう語ったのは、20世紀を代表する政治思想家ハンナ・アーレントだった。(近藤康太郎)

国谷裕子さん、持続可能な開発目標(SDGs)の取り組みにコミット❢

   久しぶりに、私が勝手に恩師と慕う国谷裕子さんの活動近況の記事を見かけた。以下のアドレスだが、 気候変動グローバル化で深刻化する問題に対応するため、超大国孤立主義の逆風が吹くなか、2015年9月に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)を国際協調の機運を守って発展させていく取り組みにコミットしている。  

digital.asahi.com  2017年1月31日05時11分

 

     そして、SDGsについては次のように分かりやすく説明している。

SDGsは、17分野の目標を2030年までに達成することにより、地球を持続可能で強靱(きょうじん)なものに変革することを目指す。働き方や消費のあり方、格差の是正、教育の質の確保、海や森の保護など、先進国が直面する課題が並ぶ。極度な貧困と飢餓の撲滅、妊産婦の安全など、従来の開発協力の目標も引き継いでいる。包摂性を重視し、「誰も置き去りにしない」を共通理念に掲げている。

 

 ますますのご活躍を期待したいが、ふるさと直方フォーラムの提案は、一言で言うと、実は、ひと、モノ、金が地域内循環する仕組みを構築することを目指しており、地理的規模の違いはあるが、それはきっと持続可能な開発目標(SDGs)と連結し整合する関係にあると確信している。これからのSDGsの具体化を注視していきたい。