ふるさと直方フォーラム

《目標スローガン》 “人とモノとカネが往来し、循環する直方と筑豊を創ろう‼”  ふるさと直方と筑豊の再生に取組む主体をふるさと直方を愛するみんなで創ろう❣

こんな素晴らしいシンポが! わがまち・ムラの現状と将来を見据え、このまちにふさわしい暮らしのカタチを考え、実現のために行動する。活動の自慢大会ではなく、他者に働きかけ、協働する。

こんな素晴らしいシンポが開かれます! 以下で太字にしているところに特に共鳴しています。私も仲間を見つけて頑張るぞぅー!って気持ちになります。

 

1 ひょうごまちづくりたなおろし交流会

  ~各地のまちづくりの棚卸しから地域創生を~ 

  20145月に日本創生会議・増田レポートが出され、「地方消滅」が取り沙汰され

 ましたが、地道にまちづくりに励んでいる地域や人々はたくさんあります。わがまち

 ・ムラの現状と将来を見据え、このまちにふさわしい暮らしのカタチを考え、実現のために行動する。

  3月5日は、活動の自慢大会ではなく、参加者一人ひとりが、互いのミッションや課題を学び、共有することで、自らの活動を一歩前に進め、協働の輪を広げる機会にできないか。自らの活動を

 深化させる。他者に働きかけ、協働する。そんな、参加者一人ひとりが自らの活動を棚卸しする場を目指して開催します。

   

 ○日 時: 平成28年3月5日(土)13:00~17:00 

 ○会 場:多可町中区中村町コミュニティセンター多目的ホール

       (兵庫県多可郡多可町中区中村町343) 

 ○主 催:ひょうごまちづくり棚卸し交流会実行委員会・兵庫自治学会

  協 賛:生涯学習まちづくりひょうごネット・織錦在郷倶楽部・中村町  

 ○参加費:無料(交歓会については、1,000円) 

 ○プログラム

   基調講演「地域包括ケアシステムの構築」松浦尊麿氏(多可赤十字病院院長)   

   みんなで議論

    進 行 東末真紀氏(シチズンシップ共育企画(運営委員))

        奥河洋介氏(淀川区まちづくりセンター(アドバイザー))   

    □グループ討議

      報 告 足立宣孝氏(FM805たんば理事長)

          井上憲三氏(宍粟市一宮市民局副局長)

          江坂道雄氏(篠山市大芋活性化協議会会長)

          加藤貴之・菜穂子夫妻(朝来市生野町担当地域おこし協力隊員)

          藤井康男氏(多可町中村町区長)

          眞弓憲吾氏(前神河町かみかわ田舎暮らし推進協会事務局)

    □全員討議

      コメンテーター 清原桂子氏(神戸学院大学現代社会学部教授)

   交歓会

 

 

 

今夜5月26日(火)のクローズアップ現代「足元に眠る宝の山 ~知られざる下水エネルギー~」を見よう❕

水素を燃料に走る燃料電池自動車の購入に対し、直方市独自の補助制度をスタートさせよう❕ 水素自動車に対する毎年の自動車税減免も実現して水素自動車普及を促進し、筑豊ナンバー車の環境イメージをアップしよう❕ を本ブログでは2015.5.9に提案していました。

 

正直なところ、この提案を実現するためには、初期投資費用の調達など、いろいろありますが、一番の課題は、水素自動車に補給する水素ガスを安定的に調達することだと思っていました。

 

関連して、今晩のクローズアップ現代「足元に眠る宝の山 ~知られざる下水エネルギー~」は必見です(【総合テレビ】19:30~19:56 (再放送・翌日)1:00~1:26)。

NHKのHP番組予告は次のように述べています(青字は比山)。

全国に46万kmも張り巡らされた日本の下水道網。今、これを新たなエネルギー源として活用する動きが広がっている。下水処理場発電所を設置し、下水処理の過程で生まれるガスを燃料にした発電を行う自治体が相次いでいる。


仙台市では企業と共同で、下水道管から直接、熱を取り出す実証研究も始まり、地元スーパーの温水として活用し始めた。福岡市では下水処理場のガスから水素を製造し、燃料電池自動車に供給する世界初の実証実験が始まった。水素が安定的に製造できればCO2を全く出さない究極のエコカー燃料になると期待を集めている。資源としての可能性はどこまで伸ばせるのか。下水エネルギー開発の最前線を紹介する。

 

この放送は見逃しても、後日、同HPで、全体の半分程度なら録画を見ることもできるし、番組全部のやりとりを活字で確認することもできる。視聴することで、福岡市における世界初の実証実験取組みの成功を後押ししましょう!

自治体の「尊厳死」宣言と地方版「地方創生」総合戦略の策定  2015.5.22

共同通信が2015年1~2月に実施した地方創生に関する全国約1800自治体の首長アンケートの結果、2016年3月までの地方版総合戦略策定を政府が交付金の条件としていることに関し、50・5%が賛成する一方、45・7%が「どちらともいえない」と慎重姿勢を見せているという。

 地方版総合戦略策定について、自治体の間で受け止め方が異なっているということであるが、アンケート結果を分析した日本総合研究所によると、既存の計画と重複することへの疑問や、地域の実情に合わない計画作りを強いられるとの不安が多いらしい。

 

去年の夏以降、声高に叫ばれてきた政府の「地方創生」キャンペーンではあるが、もともと統一地方選挙対策として遂行されてきただけのものであろう。安倍政権の本音の関心と政策の力点は間違いなく安全保障法制の完成と強い国を作ることにあるのであり、地方選挙も終わった今、自治体が策定する地方版「地方創生」総合戦略に対する政府の財布のヒモは随分と厳しくなると思われる。

 

それでも、ふるさと直方道の駅構想を提案している私としては、もちろん、直方市を含むすべての自治体が、それぞれの創意と工夫で、一過性ではない将来的に持続可能な総合戦略を作ってくれることを期待したいが、今日は、以上に関連し、すでに読んだ方がおられるかもしれないが、「ある村が『尊厳死』宣言」という、いささかショッキングな見出しの西日本新聞記事を紹介して少し考えてみたい。

 

 人口減少が続き超高齢化したある村が1日、「尊厳死」を宣言した…=2015/04/02付 西日本新聞朝刊(下線は比山)=

 人口減少が続き超高齢化したある村が1日、「尊厳死」を宣言した。「延命措置」の施策を行わず、静かに自治体としての最後の時を過ごすというのだ

人手と予算を掛けてきた地域振興策を一切やめる。観光客を呼び込まなくても、新産業を起こさなくても、人口が増えなくてもいい。今、住んでいる人たち(大半が高齢者)が心豊かに暮らせることを行政目的にするという

▼例えば、後々お荷物となる“箱物”公共施設は造らない。道路など生活基盤は必要な補修にとどめ、作業も村民の手を借りて。村議会の定数は最小限にし、村長や議員の報酬も大幅にカット。宣伝効果が疑わしいゆるキャラは引退だ

▼浮かせた予算はすべて痛みを和らげる「緩和ケア」施策に充てる。お年寄りが遠くの病院まで行かずに済むよう「かかりつけ医」がいる村営診療所を開設。訪問介護も充実させる。買い物用のミニバスを走らせ、お使いの代行も。独居世帯は地域全体で見守る…

エープリルフールのきのう、政府が旗を振る「地方創生」から頭に浮かんだ「うそニュース」。国の財政支援を目当てに、地方が横並びで見通しの甘い活性化策に奔走するのではないか。そんな懸念から、流れに逆らう村があってもいいのかなと

▼自治体の「尊厳死」は冗談だが、地域と住民の尊厳は守らなければ。過去の無謀な開発主義が地方に深い傷痕を残したことを忘れてはなるまい。

 

ある村が「尊厳死」宣言という見出しからは、人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えるため不合理な延命措置は一切施さないというのと同じように、人口減少消滅社会の傾向に対し、無駄な抵抗をしないで、自治体として消滅するときを迎えることを提案しているのかなと思った。

 しかし、村議会の定数は最小限にし、村長や議員の報酬も大幅にカットなどという重要課題は実施しているので、結局、見通しの甘い活性化策に奔走することはしないという趣旨のようであり、矍鑠かくしゃくとした元気のよさや、ある種のすがすがしさまで感じてしまう。

 

延命措置を施すにしろ、諦めてなにもしないにしろ、私見では、それぞれの途を選択する理由が重要である。上記では50・5%が賛成しているが、地域の特性に着目し、それを活かして、真に持続的な未来志向の計画を作るチャンスと捉えているのであれば大いに歓迎したい。

 しかし、自治体における従来の計画策定にはコンサル任せの金太郎飴的なものが多かったことを思うと、自らの創意と工夫で、一過性ではない将来的に持続できる計画を作る難しさを自覚したうえでの賛成でなければ、大した総合戦略など策定できないのではとの疑念が残る。

 

他方、既存の計画と重複することに疑問を抱いたり、地域の実情に合わない計画作りを強いられるとの不安を抱いているという方が、それぞれの自治体内部におけるこれまでの計画等策定の経緯と実情を正しく認識しているように思われ、正直だし、その分、むしろ信用できる気がする。

 

私は、ふるさとなどを数年かけて考え抜き、十分実現するに値すると信じて提案しているつもりだが、この「尊厳死」宣言記事の問いかけに真正面から答えることができているか、いささかの不安がないわけではない。

 

要するに、「地方創生」の実現と深化に期待しているのではあるが、これまでの経緯と実情を正しく認識するところからしか、正しい問題意識に基づく的確な解決策は生まれてこない。その意味では、「どちらともいえない」と慎重姿勢を見せている45・7%が、難しさを自覚しながらも、それを克服し、地域の特性を活かした個性的で持続できる地方版総合戦略の策定作業に取り組んでくれることを心から期待したい。

水素を燃料に走る燃料電池自動車の購入に対し、直方市独自の補助制度をスタートさせよう❕   水素自動車に対する毎年の自動車税減免も実現して水素自動車普及を促進し、筑豊ナンバー車の環境イメージをアップしよう❕ 2015.5.9

NHKのHP(2015.04月17日)で、北九州市のタクシー会社「第一交通産業」が水素を燃料に走る燃料電池自動車(水素自動車、FCV)のタクシーをこの春、全国で初めて導入し、先日、試乗会を開いたというニュースが報じられています。

 

FCVは水素を燃やし(酸化させて)走るため、走った後に出てくるのは水だけで「究極のエコカー」と呼ばれていますが、同社の担当課長は「排気ガスを出さないという環境面での利点から導入を決めた。5年ほどかけてコストや耐久性、乗り心地などを調査したい」と話しています。そして、当面は、北九州の先進的な環境技術を視察に来た人の案内や観光用として活用するほか、予約がない時は一般のタクシーとして走らせることにしているそうです。

※ 北九州市はかねてより環境首都を目指すと公言していて、「水素利用社会システム構築実証事業」の一環で水素タウンを整備しています。そして、製鉄所で生ずる副生水素をパイプラインで近傍に供給し、水素ステーションからの水素供給や、純水素型の燃料電池などを用いた電力供給を行っているそうです(以下、経済産業省HP参照)。また大規模洋上風力発電の誘致を目指しており、環境省風力発電を推進するため全国の自治体に公募していた環境調査などのモデル地域に選ばれたとの報道もあります(2015.5.8)。このタクシー会社の取組みは、同市の環境に対する姿勢全般に通じる挑戦かもしれませんが、北九州市の全体としてのエコなイメージを高めることにも貢献するでしょう。

 

さて、ふるさと直方同窓フォーラムはすでに道の駅構想を発表し、その一つとして、電気自動車に充電できる充電設備や水素自動車に燃料となる水素を供給できる水素ステーションを誘致して開設し、エコ時代を先取りする取組みを提案しています。

 

しかし、せっかく高い費用をかけて水素ステーションを開設しても、水素を燃料に走る水素自動車が普及しなければ、水素ステーションは宝の持ち腐れになってしまいます。世間では一般に、水素ステーションがなければ水素自動車は普及しない(≒水素ステーションがあれば水素自動車は普及する)との前提で話をしています。その前提で、政府は2015年度内に100カ所程度に増やす目標を掲げ、補助金や規制見直しによる後押しを進めています。

 ※ 「供給がなければ用途が広がらず、また需要がなければ供給システムについても検討されない」といったことでは、水素エネルギーの利活用は本格化しないので、水素の製造関係者、貯蔵・輸送関係者、利用関係者の三者三すくみの状況を同時に打破していかなければなりません。

 通常のガソリンスタンドであれば設置は1億円程度で済むが、水素ステーションの建設は4億円前後かかると言われています。政府は2015年にはガソリン燃料と同等以下の水素価格の実現を目指すとしていますが、採算がとれるくらいにまで水素ステーションの整備・運営価格が下がるのは2020年頃、ハイブリッド車などと競争できるくらいにまで水素自動車の価格が下がるのは2025年頃だとしています。

 なお、水素自動車に供給する水素ですが、残念ながら、安価で安定的な水素供給システム(製造、輸送・貯蔵)は確立できていないようです。これまでは水素の需要が大きくなかったので、水素の製造については、副生水素の活用や、各々の利用場所における化石燃料改質や水電解等で賄えていたそうです。現時点においては、これまで輸送の困難さから本格的に利用されてこなかった褐炭、再生可能エネルギーによって製造される電力等、これまで日本に輸入されてこなかったエネルギーを液体水素に転換し、エネルギーの貯蔵・輸送を行う方法が採用されているようです。しかし水素社会の将来展望においては、再生可能エネルギーによる高効率低コスト水素製造技術の開発が強く期待されます。

 

水素自動車は、トヨタの「MIRAI」のメーカー希望小売価格は700万円以上(税込み)で、国からの補助金が約200万円あっても、まだ500万円位はするので、水素ステーションが開設されたからといって、そうそう簡単に水素自動車が普及するとは思えません。水素自動車が普及しなければ、4億円近い水素ステーションの設備投資費用を回収できないし、ビジネスとして水素ステーションの運営を続けることもできません。

 ※ 政府は、電気自動車など次世代自動車向けの補助金として、2014年度300億円の予算を確保していたが、支給対象に燃料電池車を追加し、2015年度予算では引き続き、次世代自動車の補助金を数百億円程度盛り込み、2016年度までに合計で800台の適用を見込んでいるようです。

 そして東京都の場合、独自の補助事業を実施していて、国の半額にあたる101万円の補助金を交付し、購入者の負担額を420万6000円まで低減させるようです。これに、購入時のエコカー減税と毎年の自動車グリーン税制の減税分を加えると400万円を切る水準まで下がるので、そこまで後押し政策が進むと、水素自動車の普及が一気に進むかもしれません(参照、東京都環境局燃料電池車の購入に対する補助金。)

 

以上、国と東京都および大企業レベルでは水素ステーションの整備に力を注いでいるわけです。そこで、この動きを、ふるさとフォーラムとして、地域づくりの視点から捉え、以下のような提案の追加をしたいと考えます(敷地内に他の物質から水素を製造する装置を有するオンサイト方式ではなく、水素ステーションに他所から水素を運び入れるオフサイト方式を念頭に置いています)。

 

たとえば直方市として、電気自動車の購入に対して50万円を、水素自動車の購入に対しては、東京都のように、1台当たり100万円の補助金を出しましょう (原資は、地方創生計画をまとめあげた自治体に交付される予定の交付金を当てます。それで足らなければ、ふるさと納税による寄付金を。さらには、直方市議会議員の報酬月額(万円)は平成18 年12 月31日現在、413,000円ですが、これを全国平均並み(人口5万未満では32.31万円、5~10万未満では38.75万円)に減額して当てることなども検討すべきです。)。

 

さらに、直方市内で自動車を購入して登録する車は筑豊ナンバーを付けて走ることになりますが、田川市飯塚市などにも呼びかけて、福岡県に毎年の自動車税を減免してくれるように働きかけましょう(1年目100%、2年目以降10年間、毎年10%ずつ軽減率を少なくしていく傾斜軽減方式が適切でしょう)。かくして、これら施策が実を結ぶと、水素ステーションが開設され、水素自動車が購入されて経済の活況がもたらされるのはもちろんですが、筑豊ナンバー車はエコを先取りした環境に優しい車というイメージが広がり、やがて筑豊に住む人たちは筑豊に高いプライドを抱くことができるようになるでしょう。

 

かって、筑豊炭田として、殖産興業時代のエネルギーを支えてきた筑豊ですが、閉山以降、八幡製鉄所のある北九州市を含む地域全体に目立った産業がなく、経済的に停滞している印象は否定できません。筑豊と直方の場合は、それが文化や教育の質の低下にまで影響してきているように思われます。筑豊の地域全体が、隣接する北九州市における取組などとも連携し、水素という究極のエネルギー政策推進に関連する形で、経済の活性化と環境に優しい街づくりを同時に実現し、そうしたことがさらに文化や教育の質を高めることになると確信します。

 

 

直方道の駅構想のイメージキャラクター3つを発表❢ 2015.4.7

続けて、直方道の駅構想のイメージキャラクター3つを発表します。作者は前と同じです。描くにあたって私からお願いしたのは、キャラクターが福智山と遠賀川・彦山川を象徴する何かを表してほしいということでした。出来上がってきたゆるキャラは、他にチューリップや菜の花までとりこんでいます。傑作に感謝して発表します。

 3つのイメージキャラクターに、福智山と遠賀川・彦山川、そしてチューリップと菜の花にちなんだ名前を暫定的に付けたいと思います。最初のは、着物に遠賀川と菜の花を取り込んでいるので、おんがな(遠賀菜)ちゃん、2番目の真ん中は、遠賀川・彦山川とチューリップを取り込んでいるので、ひこちゅー(彦チュー)ちゃん、3つ目のは、福智山を取り込んでいるので、ふくち(福智)どん、でどうでしょうか?  別の素敵な名前を思いついた人がおられたら、是非ともコメント欄から提案してください!! 採用させていただきたい名前を提案してくれた方には直方の隠れ家?とかで一番のコースメニューをご馳走させていただきますよ。

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直方道の駅構想のイメージ図を発表❣ 2015.4.7

 

 私が現在勤務している大学の新2年生の学生が、直方道の駅構想のイメージ図を書いてくれました。2枚あり、そのうちの1枚は、ふるさとの直方同窓フォーラムのトップページの背景図としても使用しています。

 もう1枚は、福智山と遠賀川と河川敷という大自然の中にある直方道の駅を書いてもらったものです。

 栃木県那須町で生まれ育ち、関門海峡を渡って西に行ったことはないという学生が、直方市役所のHPなどを見て描いてくれたというから不思議な感じがしますが、一生懸命描いてくれたので公表して皆さんにも見ていただきたいと思います。

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「住みやすい町、日本一」から学ぶべきこと!2015.4.5

「住みやすい町、日本一」から学ぶべきこと!

 愛知県の長久手市が「住みやすい町」の各種ランキング調査でトップに立っているらしい。今年2月、日本経済新聞の「強いまち」調査で、「子育てをしやすいまち」の全国1位を獲得。また、東洋経済の「住みよさランキング」でも、快適度が3年連続で全国1位に輝いているとのこと。私は65歳を過ぎてから介護ヘルパーの資格を取り、グループホームでの夜勤経験があるから介護現場の現実をある程度は知っているつもり。だが、以下に紹介する日本経済新聞2015/3/23電子版の報告記事を読むと、現地では介護現場を含む地方自治の常識を覆すような取り組みが繰り広げられている。この報告記事を完全に私自身の言葉に置き換えて紹介するのは困難だ。そこで、以下では、私なりの記事の概略版(著作権侵害と怒らないでくださいネ)と私の若干のコメント(←印で示したもの)およびその下に電子版全文のコピーを貼付することにする。

 

■ケンカしながら、落とし所を見つける

 「この40~50年で、住民は批評家になってしまった。自分は名古屋に“出稼ぎ”に行って、面倒臭いことは役所に丸投げする」。役人も、地域のことに正面から向き合わなくなった。地方再生という名のもとに、中央政府はカネをばらまいて解決を図ろうとする。すると、単年度主義の役所は、あわてて予算の消化に走る。勢い、コンサルタントに任せるため、全国で同じような施策が打たれ、箱モノばかりが増殖していく。「この繰り返しが、地方の力を削いでしまった」。だからこそ、地域が自分たちで解決への道を探らなければならない

 ←下線部は私の直方道の駅構想の理念と同じだ!

■市役所を分割する

 「たつせがある課」。面目や立場がないことを意味する「立つ瀬がない」をもじった造語だ。仕事を離れた高齢者や失業者に、地域で役割を担ってもらう。

 ←直方道の駅構想でも定年退職しているシニアな同窓生が立ち上がってくれることを呼びかけていた。ただ、立ち上がってやろうと呼びかけたのは、私たちシニアのためも少しはあるが、一番は私たちの子供、孫、ひい孫といった将来世代のためだけど。

■「高度成長」の乱用

「時間に追われる国」と「時間に追われない国」。それぞれの特徴を書き込んだ表を作っている。「時間に追われる国」とは、企業や軍隊、病院などを指す。目的への最短距離を走ろうと、能力価値を重視して、数値に追われる。「悪いこと」を切り捨てると良いものになると考える。

 一方、「時間に追われない国」とは子供や高齢者、地域社会を指す。雑木林のようにいろいろな人が暮らし、解決や完成とはほど遠い。感性で物事を見る。そして、いいことと悪いことは切り離せないと思っている。

■「何もしない幼稚園」

 見慣れた風景が急速に失われていく現実を目の当たりにする。雑木林は、宅地造成のために消えていった。視察してみると、子供たちが制服を着せられ、体操や音楽、発表会と時間を区切られてせわしく施設内を行き来している姿があった。

■自然の力で子供を守る

 「子供を守る仕掛け」が施されていた。幼稚園の隣に古民家を残した。すると、近所の高齢者が集まってくる。そして、子供たちと触れ合い、監視役を果たしてくれる。ところが、年々、お年寄りの体力が落ちていき、古民家に集まることが難しくなっていった。86年、社会福祉法人「愛知たいようの杜」を設立し、広大な雑木林の中に特別養護老人ホームショートステイ施設を立ち上げた。ここでも「常識」の逆を行く。「施設はわざと雑で汚く作ろうと思った」。吉田は雑木林の中に、天井が低く、木目がむき出しの建物を作った。隠れる場所ができるように、廊下は迷路のように曲がりくねっている。

■「時間に追われない国」を作る

 その敷地内に、巨大な「もりのようちえん」を併設した。古民家があり、高齢者が子供たちを見守っている。老人ホームと幼稚園は行き来が自由で、雨が降ると子供たちが施設に入って時間を過ごす。施設内の古民家では、母親たちがボランティアで味噌汁を作る姿があった。露天風呂やビールサーバーを備えているため、休日には父親が集まって、掃除をした後で飲み会を開いている。この施設内は「時間に追われない国」として、人々が支え合って機能している。ゴジカラ村には看護福祉の専門学校も設置した。そして、老人ホームの食堂を居酒屋として解放し、学生や老人が酒とつまみで盛り上がる。

 ←直方道の駅構想をまとめる以前から、介護施設を中心とするこのような“雑居”を模索していたのだが、それを実現しているところがすごい!

■組織を大きくしない

 成功しても、各施設の規模拡大には走らない。「老人ホームの職員が数十人に増えた時、分業制になり、効率を求める組織になってしまった」。だから、吉田は市内のあちこちに小さい施設を作っていく。2002年、市内の中心街に「ぼちぼち長屋」という共同住宅を設置した。1階は要介護の老人が住み、2階にはOL4人と子供がいる家族が住む。OLの家賃は6万円だが、「老人と接する」という条件で、半額を返納している。福祉施設や介護予算を膨張させるつもりはない。町全体が、日常生活の中で子供や老人を支える地域に育て上げていく。「認知症の老人が町を徘徊したら、市民が気付いて、対処するような町にしたい」。

 ←認知症の老人が安全に徘徊できる町づくりの取組みについては、たしか去年の秋位に、直方市内の須崎町辺りで研究活動が進められているとの筑豊版ニュースを見たことがある。そんな取り組みをみんなで支援したい。

■「自治の力」を養成する

 「地方自治は民主主義の学校と言われるが、市民に力がないと成り立たない」。だから、わずらわしい課題を住民に投げかけ、議論を起こし、時間をかけて考えながら合意を作り上げていく。その繰り返しが「自治の力」を高める。市役所は、そんな「場づくり」に徹する。

 ←市民みんなの自覚も必要だが、市長にしろ経済界のリーダーにしろ、リーダー的地位にある人には、特にこの議論と合意形成の重要性を理解してほしい。「市内をくまなく見て回る」というのは、もちろん、現実を知ろうとしないのに比べるとましだが、封建時代の名君感覚ではないか!? 現代において重要なことは、①現実を知り、②問題点や課題を知り、③自分なりに適切で必要な施策を考え出すとともに、④関係者から意見を出してもらって施策に関する合意形成を図り、⑤ベストな手法を使って実現していくことだろう。①②は当たり前で、③~⑤をどこまで具体化できるかが強く求められていると確信する。

■「町全体を特養にする」

吉田はマニュフェストを嫌う。細かい政策は打ち出さず、フラッグ(目標)だけを謳う。しかも3つしかない。「役割と居場所があるまち」「助けが必要な人は全力で守る」「ふるさとの風景を子供たちに」

 「町全体を特養にする」とも表現する。それは同時に幼稚園でもある。つながり、思いやり、支え合う地域を作り上げていく。「自治」の力を失いかけた日本の地方自治体にとって、「地方創生」に向けた根源的な取り組みとも言える。

 ←直方道の駅構想の原点は「ふるさとの風景を子供たちに」だった。その原点を具体化する方法として、定年退職しているシニア世代や私の同窓生に呼びかけているので、これは「役割と居場所があるまち」と半ば共通する。

 「助けが必要な人は全力で守る」の視点はなかった。どちらかというと、ふるさとである直方が自体が同窓生はじめ人々の工夫と関わりを求めているとの認識に立っていた。

 

 以上、私なりの記事の概略版。以下が日本経済新聞電子版全文(ただし、記事中の写真は貼付できていない)のコピー。

 

住みやすい町、日本一 「究極の地方創生」はこれだ! ~電子版5周年企画 2015/3/23 7:00 情報元  日本経済新聞 電子版

 名古屋市に隣接する愛知県長久手市。人口5万人の一見何の変哲もないベッドタウンだが、「快適度」「子育てがしやすい」といった各種調査で「日本一」に輝き、今も人口流入が続いている。人口減によって、2040年には日本の半数の自治体に消滅の恐れがあると指摘されるなか、長久手市は何が違うのか。日経電子版は創刊5周年企画として、地方創生の解を探ろうと長久手市を取材した。そこでは地方自治の常識を覆すような取り組みが繰り広げられていた。

■害虫を駆除するな

 異変が起きたのは、昨年末のことだった。

 長久手市の一角にある雑木林に、「樹木の害虫」と言われるカイガラムシが大量発生した。体長1ミリほどの小さな虫は隣接する新興住宅地にも広がり、外壁に黒い米粒のように張り付いていった。

 「早く駆除してくれ」。市の産業緑地課に苦情の電話が殺到し、職員が殺虫剤散布に乗り出そうとした時のことだった。

 「ちょっと待て。対処法を住民と話し合え」

 市長の吉田一平(68)は、そう言って制止した。担当者はいきり立つ住民と市長の板挟みにあう。そうした中、専門家による調査が始まった。

吉田一平・長久手市

 事態は深刻だった。4年ほど前、雑木林で樹木が朽ちる「ナラ枯れ」が発生し、殺虫剤がまかれた。それがカイガラムシの天敵であるコバエを死滅させ、生態系が崩れて大量発生につながった可能性が高い。かつての生態系を取り戻さない限り、根本的に解決しない。

 専門家は、最後にこう指摘した。「どうしても来年、カイガラムシを発生させたくないなら、雑木林をすべて切り倒すしかない」。それを聞いて吉田は覚悟を決める。「これは激しい議論になるな」

 新築の住宅を買ったばかりの住民が、緑豊かな林をハゲ山にすることに、同意するはずがない。だが、カイガラムシは駆除したい。その問題の原因を追っていくと、宅地開発が自然環境に影響を与えた事実に直面する。

 だが、こうした難題を、吉田はあえて住民と役人の間に放り込み、自分たちで解決策を考えさせる。

■ケンカしながら、落とし所を見つける

 「この40~50年で、住民は批評家になってしまった。自分は名古屋に“出稼ぎ”に行って、面倒臭いことは役所に丸投げする」(吉田)

 1965年に7500人だった人口は5万人に膨れ上がり、多くが市外に勤務する。その間に役所の職員も40人から400人へと急増した。

 役人も、地域のことに正面から向き合わなくなった。地方再生という名のもとに、中央政府はカネをばらまいて解決を図ろうとする。すると、単年度主義の役所は、あわてて予算の消化に走る。勢い、コンサルタントに任せるため、全国で同じような施策が打たれ、箱モノばかりが増殖していく。

 「この繰り返しが、地方の力を削いでしまった」。だからこそ、地域が自分たちで解決への道を探らなければならない。

 長久手市は、すでに「住みやすい町」の各種ランキング調査でトップに立っている。今年2月、日本経済新聞の「強いまち」調査で、「子育てをしやすいまち」の全国1位を獲得。また、東洋経済の「住みよさランキング」では、快適度が3年連続で全国1位に輝いている。だが、吉田は浮かれることなく、その「負の面」も読み解く。現代人にとって「快適」とは、他人との関わりがないことを意味する。「要するに、住民につながりがないとも読める」。だから、「わずらわしさ」を地域に持ち込み、住民を議論の渦に巻き込む。

 「遠回りした方がいい。ケンカしながら、時間をかけて落とし所を見つけていく」。そして振り返れば、そこに地域再生の物語が生まれているという。 

 市の職員にも、遠回りの道を求めている。「うまくやるな。できれば、失敗しろ」と繰り返す。

 これまで「有能な役人」とは、解決策を提示して市民を納得させ、短期間で成果に結びつける人材を指した。だが、長久手では、役人はできるだけ解決策を打ち出さない。「何をやるか、政策はすべて市民に考えてもらう」

 吉田は率先して声を拾い集める。市役所の入り口横に、粗大ゴミだった机と椅子を置き、公務がない時はそこに座って市民の声を聞く。

粗大ゴミを拾い集めて、市役所の玄関脇に作った「市長室」

 毎朝、2時間以上かけて歩いて出勤し、喫茶店にも立ち寄る。当初は文句ばかり言われたが、今では打ち解け、地域の話題で盛り上がる。その光景を見ながら、店長の大原由恵(49)はこうつぶやいた。「人口が増えて、町が変わっていくから、お年寄りはさびしいのよ」

■市役所を分割する

 仕事を離れた高齢者や失業者に、地域で役割を担ってもらう――。4年前に市長に就任すると、前代未聞の部署を立ち上げている。

 「たつせがある課」。面目や立場がないことを意味する「立つ瀬がない」をもじった造語だ。最初の取り組みが、「地域共生ステーション」の設置だった。6つの小学校区に住民の活動拠点を作る。住民がそこで話し合って政策を決め、予算を付けていくという。それは、市役所機能の分割とも言える。

 「平成の大合併で、吸収された小さい町や村は白けてしまった」。人口5万人の長久手市は市政としては小規模だが、さらに細分化して権限を落とし込もうとしている。

 これまで地域活動にあまり参加しなかった20~40代の現役世代も巻き込む。公募だけでは有能な若者が集まらないため、市役所の若手職員が知人に声をかけて、参加者を引っ張ってきた。50人近いメンバーが午後7時に集まり、「まちづくり」について夜更けまで議論している。

 飲み会ばかりやっていると批判する人もいるが、吉田は「こうしたつながりをムダだとして切り捨ててきたことが、地域社会の衰退を招いた」という。短期的な成果ばかりを求める「会社の論理」が幅を効かせて、地方が力を失ったと見ている。

■「高度成長」の乱用

 「時間に追われる国」と「時間に追われない国」。それぞれの特徴を書き込んだ表を作っている。「時間に追われる国」とは、企業や軍隊、病院などを指す。目的への最短距離を走ろうと、能力価値を重視して、数値に追われる。「悪いこと」を切り捨てると良いものになると考える。

 一方、「時間に追われない国」とは子供や高齢者、地域社会を指す。雑木林のようにいろいろな人が暮らし、解決や完成とはほど遠い。感性で物事を見る。そして、いいことと悪いことは切り離せないと思っている。

 だが、高度成長の成功体験を持つ世代が、会社の論理を家庭や地域社会に持ち込んでしまった。幼児から英語や楽器を教え込み、小学校に上がれば「中学受験」、その先は就職活動と、子供を次の準備に駆り立てる。リタイア後に地域活動に参加しても、「規律」や「結果責任」を求めてしまう。

 「介護の現場では、1時間に10人を風呂に入れる介護士が優秀だとされ、1人しか入れられない人は出来が悪いと罵倒される。でも、おじいちゃんから見れば、ゆっくり1時間も風呂に入れてくれる人の方がありがたい」

 そんな非効率をよしとすれば、介護の現場が回らない…。「時間に追われる国」の人は、そう反論するに違いない。だが、吉田は市長になる以前に、30年をかけて、この難問に1つの解を導き出している。

 1946年、長久手に生まれた吉田は、商業高校を卒業すると、名古屋市の鉄鋼商社に就職する。猛烈な営業で実績を上げていくが、ハードワークがたたって、11年目に椎間板ヘルニアを患い、10カ月の休職を余儀なくされた。

 「オレが会社を背負っている。これ以上、休んではいられない」。痛む体を押して出社すると、職場は何事もなかったかのように回っていた。

 その後、徐々に地元の消防団にのめり込んでいく。燃え盛る建物に飛び込み、消火すると、住民から「ありがとう」と感謝される。一方、会社では数字のことばかり聞かされた。79年、消防団の分団長に推されたことを機に、辞表を書く。

■「何もしない幼稚園」

 地元にどっぷり浸かると、見慣れた風景が急速に失われていく現実を目の当たりにする。雑木林は、宅地造成のために消えていった。

 「これ以上、森林伐採は止めてもらえないか」。そう掛け合ったものの、何もせず放置するわけにはいかない。消防団の仲間に相談すると、「幼稚園が少ない」とこぼす。視察してみると、子供たちが制服を着せられ、体操や音楽、発表会と時間を区切られてせわしく施設内を行き来している姿があった。

 「これでは、会社と同じじゃないか」

 自分の子供時代は、まったく違っていた。兄4人が相次いで亡くなったため、母親は「勉強しなくていい。毎日、遊びまわって、楽しくすごしてほしい」と願った。だから、日が沈むまで丘を駆け巡り、林の中を探検し、自然とともに育った。

 「生きていることが、こんなに楽しいのか。子供にそう感じさせることが、大人の役割ではないか」。そう考える吉田は、「何もしない幼稚園」を作る。

 81年、雑木林の中に設立した「愛知たいよう幼稚園」。発表会や学芸会といったイベントがなく、言葉や音楽を教えることもしない。ただ、一日中、屋外で遊びまわる。

 遊具も用意していない。子供は自然の中で、遊びを考え出していく。クラスは年少から年長まで、3学年を混在させて作った。子供たちは教えられる側から、教える立場へと成長していく。違う学年がいると、足手まといになるというのは、違う人を排除する会社の論理だという。

■自然の力で子供を守る

 校舎は木造で、冷暖房は設置していない。冬は突き刺すような寒さに襲われ、年少の幼児が泣き出す。すると、年上の子供たちが雑木林に走って、薪を拾い、火を焚いて温まる。

 そうして育った子は、驚くほど怪我が少ないという。自然と向き合い、危険を察知する能力が身についている。事故を回避する知恵や約束事を、みんなで話し合う。明文化しなくても、自然と子供たちの間に広まり、世代を超えて伝えられていく。

 もう1つ、「子供を守る仕掛け」が施されていた。

 幼稚園の隣に古民家を残した。すると、近所の高齢者が集まってくる。そして、子供たちと触れ合い、監視役を果たしてくれる。ところが、年々、お年寄りの体力が落ちていき、古民家に集まることが難しくなっていった。

 吉田は老人ホームの設立を決意する。86年、社会福祉法人「愛知たいようの杜」を設立し、広大な雑木林の中に特別養護老人ホームショートステイ施設を立ち上げた。ここでも「常識」の逆を行く。「施設はわざと雑で汚く作ろうと思った」

 ある老人ホームを見学した時のことだ。巨大な4階建ての鉄筋コンクリートの建物の中にエレベーターや蛍光灯、スチールデスクが整然と並び、受付で制服を来た女性が出迎える。だが、老人はもんぺをはいて、よたよたと廊下を歩いている。あまりにも不自然な光景だった。

 この光景を反面教師にした吉田は雑木林の中に、天井が低く、木目がむき出しの建物を作った。隠れる場所ができるように、廊下は迷路のように曲がりくねっている。

■「時間に追われない国」を作る

 高齢者はスタッフに「すいませんね」「ありがとう」と言い続けている。だが、本心ではないことを知った。明日も面倒を見てもらうために仕方なく言っている。「立つ瀬がない」。そう痛感した吉田は施設内に釜戸を作った。若いスタッフはうまく使えず、立ち往生する。高齢者が活躍すると、今度はスタッフが感謝の言葉を口にすることになる。

 役割が生まれ、表情に明るさが戻った瞬間だった。

 その敷地内に、巨大な「もりのようちえん」を併設した。古民家があり、高齢者が子供たちを見守っている。ケンカの仲裁は、若い先生よりも高齢者の方が長けている。

 93年に長久手市に嫁いできた横倉裕子は、義母をショートステイ施設に送り、息子をもりのようちえんに通わせた。祖母が施設にくると、先生が子供に声をかける。「おばあちゃんが、さびしがってるよ」。すると孫が施設に飛んでいく。老人ホームと幼稚園は行き来が自由で、雨が降ると子供たちが施設に入って時間を過ごす。

 施設内の古民家では、母親たちがボランティアで味噌汁を作る姿があった。露天風呂やビールサーバーを備えているため、休日には父親が集まって、掃除をした後で飲み会を開いている。

 「ゴジカラ(5時から)村」。そう名付けられている。サラリーマンも、終業後(午後5時以降)は自由の身になる。この施設内は「時間に追われない国」として、人々が支え合って機能している。

 ゴジカラ村には看護福祉の専門学校も設置した。そして、老人ホームの食堂を居酒屋として解放し、学生や老人が酒とつまみで盛り上がる。

 施設の開いている部屋に、不登校の若者を「居候」として住み込ませた。すると、老人が声をかけ、叱ったり諭したりする。世代が交わることで役割が生まれてくる。

■組織を大きくしない

 だが、成功しても、各施設の規模拡大には走らない。背景には失敗経験がある。「老人ホームの職員が数十人に増えた時、分業制になり、効率を求める組織になってしまった」(吉田)

 老人がナースコールを押したが、対応してくれない。やっと見つけたスタッフに、勇気を振り絞って「トイレに連れて行ってくれませんか」と声をかけると、職員は立ち止まりもせずにこう言い放った。「オムツをしているんだから、その中でしてください」

 だから、吉田は市内のあちこちに小さい施設を作っていく。2002年、市内の中心街に「ぼちぼち長屋」という共同住宅を設置した。1階は要介護の老人が住み、2階にはOL4人と子供がいる家族が住む。OLの家賃は6万円だが、「老人と接する」という条件で、半額を返納している。

 様々な仕掛けを作って、世代を超えた交流を生み出すことに取り組んでいた吉田にとって、転機となったのが3.11だった。効率を求めた原子力発電所が深刻な被害を撒き散らし、既存の秩序やシステムが揺らいだ。「時間に追われる世界」が幅を効かせる時代は、終わりを告げようとしている。

 その直後、吉田は首長選挙に出馬する決意を固めた。ゴジカラ村の子供たちは、「いっぺいさんが逃げちゃう」と泣き叫んだ。

 「そうじゃない。ここでやっていることを、町全体に広げていくんだよ」 

 市内には、すでに吉田の取り組みが知れ渡っている。そして選挙に圧勝すると、こう宣言した。「日本一の福祉の町にする」

 どこの首長でも語りそうな平凡な言葉に聞こえるが、真意はまったく違っていた。福祉施設や介護予算を膨張させるつもりはない。町全体が、日常生活の中で子供や老人を支える地域に育て上げていく。

 「認知症の老人が町を徘徊したら、市民が気付いて、対処するような町にしたい」。これまで、住民は逆の方向に走ってきた。隣人との壁を高くして、面倒なことは役所任せ。高度成長時代、快適な暮らしとは「家付き、カー(車)付き、ババ抜き」と言われた。他人と接しない生活を追い求めて。

■「自治の力」を養成する

 だが、今の市民に聞けば、「快適な暮らし」の定義が変わりつつあることに気づく。

 若者を集めたワークショップで、提案された5つの企画はすべて「住民のつながり」を作り出す施策だった。また、2年前から市民による「幸せのモノサシづくり」を続けているが、「やるべきこと」として提案されたのは、知らない住民とつながるための「あいさつリーダーの育成」だ。

 だが、具体的な成果が見えにくい取り組みが多く、市議会からは「時間がかかりすぎる」「何も決まらない」と非難の声も上がっているのも事実だ。

 それでも、吉田は持論を譲らない。

 「地方自治は民主主義の学校と言われるが、市民に力がないと成り立たない」。だから、わずらわしい課題を住民に投げかけ、議論を起こし、時間をかけて考えながら合意を作り上げていく。その繰り返しが「自治の力」を高める。市役所は、そんな「場づくり」に徹する。

■「町全体を特養にする」

 そこには1つの原体験がある。30年以上前のこと。長久手に、陶磁資料館を誘致する計画が持ち上がった。地域の代表が火鉢を囲んで集まったが、世間話ばかりして、結論がでない。そうして半年が経った。最後に、おばあさんが意見を求められた。

 「そうね、まだ早いんではないかしら」。すると、誘致の話はしりすぼみになっていった。サラリーマンだった吉田は、呆気にとられた。「せっかくのチャンスを逃すなんて、田舎者はバカなんじゃないか」

 だが、今になって振り返ると、あの結論が正しかったと痛感する。「資料館の誘致なんて、30年が過ぎてみると、どうでもいいことだった。会議の場では発言しなくても、みんな地域に持ち帰って、井戸端会議でコンセンサスをとっていた」。日本の地域社会に根ざした合意形成メカニズムの深さを思い知らされた。

 だから、吉田はマニュフェストを嫌う。細かい政策は打ち出さず、フラッグ(目標)だけを謳う。しかも3つしかない。「役割と居場所があるまち」「助けが必要な人は全力で守る」「ふるさとの風景を子供たちに」

 住民が外に出て交錯すれば、自ずとやるべきことが浮かび上がり、目標に近づいていく。そんな信念がある。その思いを強くした出来事があった。

 障害者を受け入れている大阪市立大空小学校を、教育長とともに視察した。授業中に突然泣き出したり、徘徊する子供もいる。だが、仲間が対応して助ける。その仕組みはたった1つの約束だった。「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」

 友だちを殴る子は、その裏で誰かに殴られている。そうした負の連鎖を断ち切る仕掛けは、1つのシンプルな決まりごとだった。細かい規則やルールなど決めていない。それぞれが考える。そして荒れていた学校が立ち直った。

 吉田は教育長を振り向いて、こうつぶやいた。

 「やるべきことは、マニュアルに書けないってことだよ」

 彼の目指す場所は、幼稚園を作った時からブレることがない。「町全体を特養にする」とも表現する。それは同時に幼稚園でもある。つながり、思いやり、支え合う地域を作り上げていく。「自治」の力を失いかけた日本の地方自治体にとって、「地方創生」に向けた根源的な取り組みとも言える。「日本一、住みやすい町」は、より高い目標に向かって、遠回りをしながら歩き続けている。

=敬称略(編集委員 金田信一郎)