ふるさと直方フォーラム

《目標スローガン》 “人とモノとカネが往来し、循環する直方と筑豊を創ろう‼”  ふるさと直方と筑豊の再生に取組む主体をふるさと直方を愛するみんなで創ろう❣

新元号「令和」に私は大きな違和感を感じる❣ 2019.4.2

昨日、発表された新元号「令和」について私は「違和感を感じる」とのみ書いて済ましていた。10日ほど前からテレビ番組で元号フィーバーみたいな雰囲気を感じていたので、他人が桜見物で楽しく浮かれているのを、一人へそを曲げて部屋にこもっている孤独ジジイみたいに水を差すのは止めておこうという気持であった。

今朝、ネット記事やテレビを見ていると、多くはないが異論や疑問の声もあるようだ。それらに励まされたようでいささか情けないが、公的な問題なので、やはりきちんと自分の意見を明らかにしておきたい。

「和」は日本国憲法も願っていることであるから問題は「令」である。国民誰もが一番見かけるのは「法令」という用語だろう。国会が制定する「法」と行政権限を有する者が発する「令」の両方を指していて、「法令辞典」や「法令事典」の名の書物もある。私のような行政法を専門にしている者は、「令」という字からは反射的に政令とか、省令その他の行政規則を連想する。

そうすると、現代は行政国家現象が著しく、民主主義との関係で大きな緊張を孕んでいることが長く指摘されているところ、「令」を重視することは、法治主義や法の支配の「法」よりも、行政権限を有する者が発する「令」をもう一段優先させようとする意図を感じる。少なくともその印象は否めない。

また、私たちは中学や高校の歴史教科書で律令国家と律令制度を習っている。律令法典は「社会規範を規定する刑法的な律と社会制度を規定する行政法的な令が中心的な位置を占め」(ウイキベデイア)ることまでは知らなくても、律令国家において「令」は国家と社会のルールに関わる重要なものであったという程度の理解はほとんどの日本国民が共通して有していると思う。

以上が、昨日「令和」が発表されたときに私が感じた違和感の淵源であった。そして、今日、テレビやネットでいくつかの議論を見かけた。安部首相は「令夫人や令嬢、令息などの『良い』『素晴らしい』『優れている』という意味で解釈している」と反論しているらしい。確かに昔、団玲子さんという都会的で美しい女優さんがいたが、「深窓の令嬢」のように「身分の高い家に生まれ、大切に育てられた女子」というニュアンスでの素晴らしさ、優れていることであり、国民一般の中に感じられるものではない。「令」が国民感覚のものではなく、権力者と富裕者サイドからの発想に関わるものであったということである。

また、「巧言令色鮮し仁」(口先巧みに言葉をあやつる者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けている)という言葉もテレビで見かけた。「令」とは言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまくことを意味するらしい。対義語は「剛毅木訥仁に近し」(意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者である)ということは知らなかったが、「巧言令色鮮し仁」自体は私はいつも意識して行動しているつもりだ。

しかし、全閣僚会議やNHKはもちろんのこと、ほとんどの民放や有識者による「元号に関する懇談会」でも上記した問題点は議論されていないようだ。また、若い世代からもほとんど能天気な反応しか見られない。日本はいつでも体制翼賛会的なムードに突入できそうであり怖いほどである。

ふるさと納税改正案は角を矯めて牛を殺そうとしている  ふるさと納税改正案に対する代替案の提案(2) 2019.3.22

なお、大都市圏自治体からの税流出が著しいとの報道がある。しかし、納付すべき個人住民税の全額をふるさと納税できるのではなく、約2割の上限があり残り約8割は依然居住自治体に納付されるし減収分の75%は交付税で補填される。そもそも大都市圏の自治体は地方で育った人が社会人になって転入してきたことにより棚からぼた餅的に住民税収入を得ているのであるから、ふるさと納税が増えたために税収が大きく減ったと騒ぐのは前後関係の全体を見ない議論である。

他に返礼品目当てのふるさと納税は見返りを求めない寄付本来の姿に反するなどの批判がある。窮状極まる地方の現状を顧慮しない雲上人の論というしかないが、ふるさと納税は入り口では寄付と寄付金控除という形をとっているが、根幹は居住自治体からふるさとへの住民税の一部移転であり利用者もこれを認識して行っているのであるから美徳うんぬんを持ち出して批判する問題ではない。

さらに、富裕層ほど節税効果が大きく不当であるとの批判がある。例えば、年収500万円の単身者のふるさと納税枠は6.7万円であり、寄附金額がこれ以下であれば適用下限額2,000円を除いた額が税控除されるだけであるが、年収が1000万円とか5000万円の高額所得者になると、ふるさと納税枠はそれぞれ18.8万円とか436.2万円となり、適用下限額2,000円を除いた残りの税控除される額が絶対的に多くなり不公正というのである。

しかし、これも大都市圏自治体からの税流出で指摘したように、高額所得者は納付すべき個人住民税の約2割を上限にふるさと納税できるだけで、残り約8割、つまり税控除される額の約4倍を依然居住自治体に納付しなければいけないことを見落として議論している。つまり、直接的な脱税そのものはもちろん、タックス・ヘイブンへの租税回避あるいは税の減免制度により税負担を免れた額の多寡に比例して税の控除を受けているのではない。

高額所得者の立場から見ると、ふるさと納税として高額を税控除してもらうためには個人住民税だけでも税控除される額の約4倍、他に相当の倍額の所得税を納付して初めて享受できる恩恵である。悔しかったら高額納税者になってみろというのは言い過ぎであるが、頑張って所得をあげ国と自治体の歳入増に実際に貢献して初めて享受できる恩恵なのであり、納税しないで不当な利益を得ているのではない。税制度の全体と具体的な運用について批判の矛先を正しく見定めて議論する必要があるように思われる。

ふるさと納税改正案は角を矯めて牛を殺そうとしている  ふるさと納税改正案に対する代替案の提案(1) 2019.3.22

ふるさと納税の返礼品を寄付額の3割以下で地場産品に制限する地方税法改正案が審議されている。政府は地方創生推進の観点からふるさと納税を拡充してきたが、規制の動きを受けすでに昨年秋から寄付激減の兆しがある。ふるさと納税本来の目的を実現する方策を提案する。

ふるさとの活性化に貢献しようとするものである以上、地場産品に限ることは当然である。ネット通販かカタログショッピングのようだといった批判があるが地場産品に限ることでほとんど是正されよう。めぼしい地場産品がないと嘆く自治体が少なくないが、後述のふるさと宿泊券など先ずはしっかり工夫してほしい。では返礼品を寄付額の3割以下に制限することは適切か。

返礼品競争の実情を正しく認識して3割以下制限の是非を考えたい。ふるさと納税は個人住民税の2割を上限に利用が認められる。個人住民税(全国)は13兆円弱(平成30年度予算)であるから上限一杯利用されると最大2兆6千億円が自治体間を動く。しかし、平成30年における住民税控除額は約2,448億円であり、上限の1割に達しない利用である。一方、寄付受入額上位50自治体に全国の総額(2017年度3653億円)の約4割が集中し、その結果多くの自治体で収支が悪化する偏りが生じている。

このとき、是正しなければならない実情を正確に認識するなら、ふるさと納税が利用され過ぎていることが問題ではなく、豪華返礼品と一部自治体に寄付が偏っていることが問題ということになる。利用され過ぎているというのであれば返礼割合を一律に下げて熱を冷ますことが考えられるが、寄付が偏っていることが問題であるから偏りを是正する方策に焦点を合わせて議論しなければいけない。

すると、返礼割合の高い自治体に寄付が偏る可能性はあるから、返礼割合を全国一律とすることは合理的である。ただし、一律で足り偏りを是正するために3割以下とするのは不要である。また、肉、カニ、コメなどの人気ブランドを地場産品とする自治体があるとき、一律3割以下の制限を課したとしても偏りは生じうるであろう。結局、現在の改正案は偏りをなくすための有効な方策ではなく、むしろすでに兆候が表れているようにふるさと納税の利用を急減させる可能性がある。

そこでふるさと納税を着想した原点に帰って制度を再構築することが考えられる。ふるさと納税できる自治体を自由に選べることが行き過ぎた返礼品競争を作り出した面のあることを率直に認め、進学や就職によりふるさとを離れた人がシンプルにふるさとを応援し恩返しする制度とするのである。たとえば、生まれ育ち通学した学校のある地域や親祖父母の住むところなど、ふるさと納税できる自治体を本人が自由に決めて5つまで個人番号カードに登録することとし、そこにふるさと納税できる制度とするのである(10年経過後に変更できることにしてもいい)。

ふるさと納税できる自治体の数を限るところがミソであり一種の囲い込みになるため国全体のふるさと納税総額は少なくなる可能性があるが、過熱気味の自治体間競争や偏りは格段に減少しよう。自然災害被災地などについては国が指定し、登録されている場合と同様にふるさと納税できるとすればよい。

では3割以下制限についてはどう考えるか。ふるさと納税には地方創生を推進する役割が期待されているが、地方創生に肝要なことは地域内に「人とモノとカネの循環」をもたらすことである。補助金付公共事業によってカネとモノはもたらされてきたが、東京一極集中と地方の過疎化は進むばかりであり、地方を人で賑わす施策が渇望されている。地方創生の切り札が見つからない中、ふるさと納税はそのための潜在能力を有しており、それを開花させるために3割以下制限は有害である。

たとえば、1万円のふるさと納税に対して調達価格8千円のふるさと宿泊券を返礼品にしたとしよう。ふるさと宿泊券の利用で人の賑わいがもたらされるが、親せきや友人知人と会食したり同窓会に出席し二次会にも出かけて地産地消が促される。都会に戻るときには土産を買ってカネを落とす。ふるさとが人で賑わい、街の売上げと住民の所得もアップし、次年度住民税収入が自ずと増える。返礼割合を下げて自治体の手元に多くを残し行政施策の原資としても、行政主導の施策は利権がらみに陥りやすいうえ中間経費が高くついて非効率というのは周知である。地方創生は民のかまどを賑わすことから始めよということである。ふるさとの自治体は返礼品の開発を奨励し、できた返礼品を紹介して2割程度の手数料をもらう問屋の役に徹する位でいい。結局、地場産品条件は強制すべきであるが、返礼割合を何割とするかは自治体の選択に委ねていい。

2019直方市長選: 総括壬生市政 第7回 文化政策は歴史的経験を踏まえ良識ある矜持を保て 2019.3.7 3.21

3.壬生氏は施策方針として文化政策の推進を掲げている。普通に文化といえば、芸術文化であるとか文化人類学の言葉を思い付くが、文化政策の推進とは具体的にはどのようなことか、その意図なり目標が明示されていないのでよく分からない。金と経済成長、最近だと効率性に目が眩み、人間社会に欠かせぬものを見落としがちな気配がずっとあるから、第一印象としては「文化政策」は悪くないという気もする(20年以上前になるだろうか、橋下徹大阪府知事になった頃、大阪センチュリー交響楽団に対する補助金全額カットを言い出して楽団の世話役をしていた水野武夫先生が奔走されていたことを思い出す)。

 

しかし、やはりそれ以上に、政治や行政のトップに立つ者が公共政策として文化政策を言い出すと違和感を抱き警戒してしまう。秦の始皇帝孔子の教えを信奉していた儒家を弾圧し、儒教に関する書物を焼き捨てたり、秦の政治に批判的な学者数百人を穴に生き埋めにした焚書坑儒は世界史で学んだ。また、団塊の世代である私には、毛沢東時代の「文化大革命」を好意的に垣間見た苦い経験がある(西園寺公望の孫である西園寺一晃が1960年代10年間の中国居住体験を綴った『青春の北京』(中公文庫1973年)を疑うことなく共感して読んだ)。

 

なにも中国や外国の例を出さずとも、日本にも戦前の大正時代、宗教弾圧として知られる大本教弾圧事件があったし、戦時下では総動員体制を進めるため、「ぜいたくは敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」の生活スローガン、あるいは幕末の尊皇攘夷から戦争中の「鬼畜米英」の押し付け信仰があった。最近、雲行きが怪しい日韓関係絡みでも10年以上になるだろうか日本文化の開放が言われたし、その頃からだったか韓国ドラマ「冬のソナタ」など韓流ブーム現象もある。

 

言いたいのは、文化は政治(的思惑)とそれほど明確に区分できないこと、したがって、敵対や陰謀、弾圧や抑圧の歴史が繰り返されていることを踏まえると、抑圧か奨励のいかんを問わず、文化政策の名のもとに為政者が思想や宗教・信仰はもちろん国民の生活スタイルに安易に立ち入ることは無用な疑いを招きかねず避けるべきではないか。良識ある矜持を保てということである。国レベルでは文化庁が、自治体では教育委員会など、通常の行政部局からある程度独立した部局が文化財保護を担当しているというのもそういう意味で理解できる。

 

翻って考えてみると、ギリシャ・ローマ時代の昔から、また江戸時代の文化文政の頃や戦後の日本を見ても容易に理解できるように、経済生活が安定した社会を実現すれば、そのあとに文化の華は自ずと開くことも歴史的な真実である。そういう意味では、当面30年後を目標に持続する直方を創造しようとする努力こそが明日の直方の文化を生み出す創造的な挑戦ということになるだろうし、そうした努力の軌跡の中から自ずと新しい文化が育っていると信じる。 

 

もちろん、直方が歩んできた歴史に関わる記念碑的重要なものはしっかりと保存すべきである。恥を忍んで私の無知をさらけ出すが、長崎街道は小倉常盤町、黒崎、木屋瀬のあと、小竹町に入る前に直方市内を通過しているのではないだろうか。記念碑的なものがあると聞いた覚えはないが直方が歩んできた歴史と意味合いに関わるから知りたい。佐賀屋の客座敷の造りなど凄く風情があり、消失させてしまうのは余りに惜しい。生活文化の記念建築として保存公開する手だてを考えてほしい。地名だって、御館山や西門前町、二字町、山手町などの町名をすべて大字直方○番地にしてしまっている。同和対策の一環だという話を先日聞いたが、それぞれの町名に愛着をもって育った人間の気持ちを考えると、荒療法すぎるのではないか。

 

仄聞するところでは、旧直方駅舎、石炭記念館の坑道保存、あるいは日若踊り保存会などを市の事業として、あるいは補助事業として公金を支出しているようである。しかし、石炭産業は国の殖産興業政策の中核として官営八幡製鉄所とともにエネルギー政策の中心事業として遂行されてきたものであるから、坑道保存などは経済産業省なりにきちんと話を通せば、国の(補助)事業としていっそう拡充された形で実現できるのではないか。同様に、旧直方駅舎もそうであったが市内に残る歴史的建造物についても、国交省の都市計画事業あるいは文化庁の事業として効果的効率的に保存できる可能性はないか、念のため再チェックしてほしい。ただ、日若踊りなど一部市民の活動に関わることは、財源の多寡にもよるが、受益者の普遍性にやや問題があるように思われる。また政治的思惑からする人的つながりを狙う施策との境界も不鮮明であるから、少なくとも乏しい財政から無理に搾り出してすることではないように思われる。

 

  最後に、先日、シンポジウム「直方の歴史まちづくりを語る」のポスターを見た。

ポスターの中にある旧直方駅舎を見ると、福智山同様、その懐かしさにはあがらいがたいものがある。

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 しかし、このシンポジウムだけなら素直に称賛できただろうが、これまでの「総括壬生市政」で検討してきたように、前例踏襲と利権トライアングルの農林水産省との人事交流や趣旨不明の企業誘致と企業訪問懇談、そして人口減少と財政破綻に備えた取り組みがなされていないことが頭から離れない。

そうすると、選挙の公示日も近い日時に、こうした文化や歴史関連のイベントを、市が市政戦略室を事務局にして主催し、壬生氏自身もパネラーとして出席するというのは、発想の大元に政治的思惑が見え見えで卑しさすら感じる。

 例により「違法でないから構わない」というのだろうが、首長としての分別に欠けるし、市民みんなで大切にしなければならない市民文化を食い物にして政治利用するのは止めてほしい。それほどに適法性のみを重視し「違法でないから構わない」という信念で行動するというなら、私が半年くらい前から指摘している市HP(企画経営課 企画経営係 更新日 2019年03月14日)の「直方市総合計画は、直方市が策定する市の全ての計画の基本として、行政運営の総合的な指針となる計画です。地方自治法第2条第4項の規定により定めるもので、市の計画のうち最も重要な計画といえます。」の誤りに気づき、法曹に携わる者として早急に訂正し市民に謝罪してほしい。

 

今、直方市の市長として一番求められているのは、子供や孫たちにどれだけ希望ある未来を責任をもって継承できるかである。「歴史的財産をただの昔話のノスタルジーに終わらせないために、…過去から未来へ引き継ぎ、生かしていく」という意気込みは立派であるが、人口半減と財政破綻の大波が襲ってこようとしているとき、希望溢れる直方を現実化させる戦略と手法を描かないまま、ノスタルジーだけに浸ることは許されない。

 

 

 

オールジャパンで大悪夢に立ち向かうと「オール直方の力を結集して」 2019.3.7

   安倍首相は先日民主党政権を「悪夢」と切って捨てたが、これに対して野田佳彦元首相がアベノミクスの「大悪夢」に危惧を表明するとともに、オールジャパンでこの「大悪夢」に立ち向かうしかないと決意を述べる記事に出くわした(2019年3月5日Texts by サンデー毎日、おそらく3月17日号)。安部首相と周辺はアベノミクスの成果による史上最長政権であるとか、いざなぎ景気以来の好景気と言って浮かれているが、ひたひたと押し迫ってきている内実は、金融と財政の両方とも出口と入り口が見えない最悪の袋小路に入っており、オールジャパンでこの「大悪夢」に立ち向かうしかないとの分析である。

 

    私も以前、30年後の持続する直方の創造を目指すために、「オール直方の力を結集し、子どもや孫たちが夢と誇りの持てる直方を創ろう!」(初出2018.9.19 )を提案している。国と一自治体にすぎない直方市という違いはあるが、財政状況の厳しさや今後の人口の顕著な減少という共通する事情を踏まえると、「オールジャパンでこの「大悪夢」に立ち向かうしかない」というのは今の直方にも当てはまると思う。市長選挙が来月に迫っているが、立候補者はこれくらいの危機感をもって市長候補者としての政見と公約を提示し、市民はしっかりと吟味してほしい。

 

 以下の引用は上記サンデー毎日記事の一部です。太字は私によるものです。

 

アベノミクスの副作用こそ

 史上最長政権の全能感?

「自分だけが、という意味の高揚感がある一方、そうはいってもアベノミクスを含めいろんな旗は立てたが、結果が出ていない。あわててレガシー探しをして、功を焦っているような……」

 アベノミクスは?

「異次元金融緩和政策は、政治家が学者のようにデフレは貨幣的現象だと言い切ったところから始まった。実現のため日銀総裁の首をすげ替え、政策決定会合のメンバーも人事で入れ替え、現在は全部リフレ派にした。2016年1月のマイナス金利導入決定会合では5対4と別意見があったが、今は金太郎飴(あめ)状態だ。反省して軌道修正、または撤退したりすることができないレールに自らを追い込んだ」

アベノミクスで脱デフレができなかったことはもうわかっている。むしろ、異次元の副作用が現実化してきている中で、それに対してごめんなさい、ではなくて、苦しいけど先に進もうという路線をまだ取っている。悪夢どころか大悪夢、地獄を見るのではないか」

 異次元の副作用?

「マイナス金利は地銀の収益を上げるビジネスモデルを崩した。地域経済にはものすごい影響がこれから出ていく。量的緩和の行き過ぎはマーケット原理を歪(ゆが)めた。債券市場も株式市場も官製相場になっている。日本経済は市場という貴重なアンテナを失っている

 金融の出口は?

「想像つかなくなってきた。日銀が大量の国債を購入、手放せない状態だ」

 手放した途端にどう?

「市場へのメッセージを含めてものすごく難しくなってきている。日銀のETF(上場投資信託)購入もやり過ぎてきたが、あれすらやめるとは言えない」

 財政は?

日銀が無制限に国債を購入する財政ファイナンスが、財政規律を崩している。現役世代の票さえあればいい、将来世代を慮(おもんぱか)る気持ちのない政治がど真ん中にある。20年度財政収支黒字化という小泉純一郎政権以来の目標も5年先延ばしにした。アベノミクスが宣伝するほどの税収アップ、財政改善効果がなかったことを自ら認めたようなものだ」

 ということは?

財政の入り口にも立てない。金融の出口も見えない、この入り口と出口がセットになっているが、両方とも見えないという最悪の袋小路に入ってきている

 袋小路の脱出法を政治が考えるべき時期に入った?

「そうだ。ただ、非常に難しい。危機を煽(あお)ると過剰反応が起きる。ただし、いざとなった時にはきちんとものを言う。もう、ETFはダメだよ、と言い始めていかないといけない」

「バラマキ増税でもわかるように首相の思い付き、独善が致命的になってきている。独善を止めるためにも参院選は大事だ。選挙で退陣に追い込むことだ」

 安倍退陣で政策変更しない限り出口はないし、まともな増税はないという認識だ。その受け皿は誰が?

「誰がやっても大変だ」

 1997年のアジア通貨危機で韓国がIMF国際通貨基金)管理下に入り、血が出るような経済改革を迫られたことを思い出す。

「韓国はIMFが助けられる規模だったが、日本では無理ではないか。特定の政治家ではなくてきちんとしたチームでないとできない大テーマだと思う」

 与野党超えた救国政権? 福田康夫政権では民主、自民の大連立構想があった。

「クラッシュになる前に意思疎通できる自民党の人たちと知恵を出していく」

 誰と?

「特定の誰かではない。オールジャパンでやるしかないのではないか

安倍首相を退陣に追い込むしかない

 野田氏は首相経験者といえどもまだ61歳だ。毎朝2~3時間の駅頭立ちはいまだに続けている、という。一体改革を成し遂げた手腕に再登板を望む声が経済界にもある、と聞く。安倍政治の悪夢性から解放されるためには、選挙で野党が勢力を拡大、安倍氏を退陣に追い込むしかない、と明言した。ただ、その後の政体については、大連立を念頭に置いている感もあった。アベノミクスの出口と連動する動きであろう。

2019直方市長選:総括壬生市政  第6回(続き) 直方農業を客観的に把握していない農業施策 2019.2.4 3.18

 ホ 農業について、壬生市長は次のように述べています。

 直方市の認定農業者の方々と意見交換を行い、 今、直方の農業及び就農者が直面している様々な問題を知ることができました。・・・課題が明らかになりました。行政としてこれらの諸問題に対 して積極的に対応してまいります」(平成28年度施政方針)、

 「農業委員会制度の変化をふまえ、農業及び農業経営の課題を的確に把握するとともに、営農者の方々との意見交換を密にし」ます(平成29年度施政方針)。


 しかし、27年4月から行政責任者の地位に就いているのですから、就任して1年、2年後に、現場主義を可能にする前提である実情を知るための活動に重点があるというのでは取り掛かりが遅いとの印象を拭えません。27年度中に課題を把握し、28年度、29年度は対策を提案し、実行すべきでした。


 へ より大きな問題は直方市における農業の位置づけと行財政資源投入のレベルです。農業振興については、産業振興に含める形、あるいは産業と横並びにした項目を立てて、平成27年の所信表明から一貫して支援する姿勢を打ち出していますが、1980年大分県の平松知事が提唱し,全国的に広まった一村一品運動のような取組が具体的に示されてはいるわけではありません。次のように述べています。


直方市においても、このような農業の振興は極めて重要な分野であり、農業振興のための施設整備や新たな事業展開に対する支援を充実 させていきたいと思います。」(平成27年所信表明)、
「農業につきましては、・・・・営農者の減少や集約化、営農の継続性 や農家の利益の最大化という課題に積極的に取り組んでまいります。本市では、昨年度から農林水産省との人事交流が実現し、農業振興に対する積極的な取り組みが実践されるようになりました。「儲かる農業」というテーマを掲げて、講演会や米粉の勉強会などをとおして、これからの 農業のあり方について営農者の方々と協議の機会をもうけ、行政として より積極的に関わる方針であり、本年度もこの方針を一層進めてまいり ます。」


 ト しかし、これでは政府による米の全量買い取りと配給制度による食糧管理制度のもと、農業というより農家を保護した戦後日本の農業政策とほとんど同じ着想のように思われます。また、米の余剰が明らかになって生産調整(減反)や自主流通米制度が始まった1970年前後から後、農林水産省かんがい排水圃場整備等の土地改良事業公共事業として巨額を投入して主導してきました。まさに、自民党政権の票田確保手段としての農業保護政策であったわけです。

 

利権と結びついたこの農業政策の構造は、コメの市場開放が強く求められ、国際競争に立ち向かう強い大規模農業を目指すようになった90年代以降においても、大局として変化はないと思われます。つまり、いわゆる“政官財”のトライアングルではありませんが、農林水産省が「政治家・官僚・農協」の利権構造の一角をなす利権官庁であることに変わりはありません。今日、農林水産省は企業の農業参入、食料自給率の向上やスマート農業にも取り組んでいますが、利権官庁の本質は微動だにしていないと思います。

 

 チ ですから、「儲かる農業」を否定するわけではありませんが、コメ、野菜、畜産、そしてオレンジなどの果樹といった、力を入れる分野と具体的な方策を明示しないまま、漫然と農業関係者や農林水産省との関係を深めるというだけでは、利権的旧来的な結びつきを強めるだけに終わってしまうように思われます。

 また、「儲かる農業」は、少なくとも一自治体がサポートして先が見えるようになるものではなく、当事者である農業関係者自身が創意工夫して初めて見えてくるものだと確信します。そうでなければ、いずれ公正さや持続性を見失ってしまい、批判を受けることになると思います。

 

 リ 一村一品運動 のような画期的取組とまでいかなくても、農業従事者が旧来的な利益団体としてではなく、誇りをもって農業に従事できるような目標テーマを、農業関係者のほか関心ある方が参加して議論し、是非見つけてください。

 たとえば、日本国内における食料供給は需要をはるかに下回っているのが現状です(農水省が公表しているところによると、平成29年度の食料自給率は、カロリーベースで38%、生産額ベースでは65%)。

 そこで、地球温暖化の影響などによる将来の食料不足に備え、地域内食料自給の実現を期すといった、子や孫たちが誇りをもって農業に取り組むことができる、環境と社会に調和する持続性ある農業政策を提示してほしいと願うばかりです。

 

2019直方市長選: 総括壬生市政 第6回 直方農業を客観的に把握していない農業施策 2019.2.4 3.18

1 直方農業の客観的把握 

 イ 次の「地域経済循環図: 2013年指定地域:福岡県直方市」(地域経済分析システム(RESAS))を見てください。2013年直方市の付加価値額は、第2次産業が474億円、第3次産業が1220億円であるのに対して1次産業のそれは8億円です。そして、第1次産業の一人当たり付加価値額は63万円で全国1,719市区町村におけるランキングは1,660位です。 

 

 

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  ロ また、年間延べ農作業日数(当該地域内における農業経営に投下された年間総労働量の推計値。平たく言って、農作業に従事した者の延べ日数)は、2015年は127,326人日であり、2010年の140,944人日、2005年の167,319人日からすると、明らかな減少傾向にあります。この年間延べ農作業日数を1年の農作業日数を300日として割ると、1日当たり約425人です。

 そうすると、一般的には1日当たり約425人が労働していて一人当たり年63万円の付加価値を産み出している産業分野にどれほどの行財政資源を投入することが最適かという話になるでしょう。そして、投入できる行財政資源は限られていますから、客観的な根拠資料に基づきニーズの質と量を見極めると共に、投入できる行財政資源の総量という枠の中で、過不足のない均衡の取れた適切な資源の投入が求められることになります(行財政資源投入の最適要請)。

 ハ 市民が真面目に働き経営しているのですからどの分野も公平公正に支援されるべきです。そして、行財政資源を投入するというのは、広い意味では公共事業を行っているといえますが、「市が提供するさまざまな利益は、市民に対して平等に行き渡るべきであり、市が提供する機会は、市民に対して平等に与えられなければ」(平成27年所信表明)なりません。つまり、直方市が行う農業施策は「真に直方市民のための公共事業」(平成27年所信表明) でなければならにいということです(公共事業としての公平性と公正さ)。 

 二 中央省庁への職員派遣の問題点については次(続き)で述べますが、29年度から実現しているという農林水産省との人事交流についても、限られた行財政資源の適切な配分という観点からも厳格に再検討されなければなりません。(続く)