読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ふるさと直方フォーラム

《目標スローガン》 “人とモノとカネが往来し、循環する直方と筑豊を創ろう‼”  ふるさと直方と筑豊の再生に取組む主体をふるさと直方を愛するみんなで創ろう❣

資本主義に「成長」は必要か!? “成長がなくても幸福で活力ある社会を築けるか”

  私は、普段、行政法の法解釈を中心に、地方自治法や環境法に関して、政策法務と地方再生・ふるさと創生の観点からの施策を考えているが、実はその背後でいつも気にしていることがある。それは、“成長がなくても幸福で活力ある社会を築けるか”だ。対極にある一つの考え方として、雇用確保のためにはデフレからの脱却が不可欠で、そのためには経済成長が必要という考え方がある。

 そんな私の問題意識に真正面から答えてくれそうな3冊を紹介する記事を見かけた。是非、皆さんもまずはこの紹介記事を読んでいただき、1冊でも読まれたら意見と感想を聞かせてほしい。      


    私はふるさと直方の再生を可能にする基本的な考え方として、「地域内循環」を可能にする施策をメインに考えているつもりだ。「地域内循環」を可能にする施策は「持続可能な開発」の理念を具体化する持続可能な開発とも連結し整合するはずである。

   そして、上記のように考える私は、「アベノミクス」は、いずれ持続可能な開発とはそりが合わなくなるし、「地域内循環」とも対立すると信じいる。それでも、雇用確保のためにはデフレからの脱却が不可欠で、そのためには経済成長が必要という考え方を完全には払拭しきれず、ある程度は正しいかもと思うときもあるというのが正直なところだ。

 この紹介記事を読んで1冊でも読んでいただいて、是非、皆さんの意見と感想を聞かせてください。book.asahi.com に入れば勿論読めるが、なにかの理由で入れない人のために、以下にこの記事の全文コピーを貼り付けておこう。

 

資本主義に「成長」は必要か アベノミクスに踊る前に

[掲載]2013年02月18日 

アベノミクス」で、世間が踊っている。企業が活動しやすいように規制緩和を進める成長戦略などの3本柱を掲げた安倍政権に、株式市場は活性化。アベノミクスを扱った本もヒットする。だが、メディアであまり論じられない疑問も残されている。いわく、資本主義社会に、〈成長〉は必要不可欠なものなのか?  エコノミストの水野和夫さんは、『資本主義という謎』(大澤真幸氏との共著)などで、「20世紀末から、世界は成長なき時代に突入した」という歴史観を世に問うている。  成長、つまり国内総生産(GDP)で計る経済活動の規模は、通常なら年数%ずつ大きくなるのが、近代のいわば常識だった。水野さんによれば、17世紀に始まった西洋型資本主義は、フロンティア(辺境)とコレクション(蒐集〈しゅうしゅう〉)が不可欠だった。欧州諸国は米新大陸やアジア、アフリカのフロンティアを“発見”。石油ほか自然資源を安く調達し、自国の工業製品を高く売りつけ、富を蒐集してきた。投資(冒険、賭け)によって、単なる貨幣を増殖させ資本へと転化するのが資本主義の基本設計だ。  「しかし辺境は必ず消滅し、蒐集は必ず過剰になる。BRICSなど新興国が成長した現在、辺境はなくなり、蒐集によるカネ余りで、先進国の投資機会はなくなっている」  (1)辺境から資源簒奪(さんだつ)の果てに同時多発テロが起き、(2)「国内の低所得者」という辺境を無理にでっちあげて住宅ローンを貸し付け、サブプライムローン問題とリーマンショックを招来、(3)安価に入手できなくなった石油にかわるエネルギーを切望しての果てに福島原発事故。9・11→9・15→3・11は、西洋型資本主義のひとつながりの断末魔だ――。水野史観のハイライトだ。  1997年以降、日本は世界に先駆け、長期金利が2%を切る超低金利時代に突入した。「利子率革命というべき異常事態で、世界史の中でも3回しか起きていない」と水野さんは語る。「日本の低成長を、好況⇔不況の単なる景気循環だと理解すると、歴史を見誤る。むしろ、成長がなくても幸福で活力ある社会をどうやって築くかが問われている。公共事業など財政支出に金融緩和、成長戦略を3本柱としたアベノミクスは政策として支離滅裂。アベノミックス(ごちゃまぜ)です」と強調する。  一方、『官僚の反逆』などの著書がある評論家の中野剛志さんは「国の最も大事な役割は雇用対策。労働とは生きる糧を得るためだけでなく、『自分も世の中に存在していい』と確認できる承認の問題だから。そして雇用確保のためには、絶対にデフレからは脱しなければだめだ。成長うんぬんとは別問題」という。  その前提のうえで、低成長論者が陥りやすい落とし穴を指摘する。一般に「経済成長こそ貧困をなくす」といった反論があるが、中野さんはさらに広く、世代問題の視座も提供する。  「『世の中にはモノがあふれている、無理に需要を喚起するのは地球環境にもよくない』と低成長論者は主張するが、需要には現在の消費だけではなく、将来世代のための投資も含まれる。自分たちは先行世代の投資のおかげを被ってきたのに、年金や医療が心配だから、子供世代のための公共事業まで削れという低成長論者は、私に言わせれば不道徳。ふしだらだ」  長い歴史のスパンで見ても、人類の経済規模が拡大していく「成長の時代」は、ここ250年の出来事に過ぎないとも話す。「成長の時代の前は、戦争と飢餓の時代。そこに戻っていいのでしょうか。英のサッチャー、米のレーガンに始まる新自由主義的な政策のために、この30年間、世界経済は成長できなかった。利益を求めるあまり投資の視野が近視眼的になり、かえって成長できなくなった。その、失敗した事実をまずは認識しましょうということ。私は経済成長を絶対視しているのではない。成長をあきらめる前に、まだやることがあるでしょうと言いたいんです」(中野さん)  ライターの鶴見済さんは消費社会に背を向けるようになって10年近くになる。新商品チェックをやめ、極力自転車で移動、友人と畑を耕し、余った野菜は近所の知人にあげたり、かわりになにかをもらったり。「人は、経済のため、成長のためと言われると、思考停止してしまう」。そんな疑問から昨年、『脱資本主義宣言』を出版した。  「半農半Xでも、リサイクルやシェアが中心の贈与経済でもいい。国や地域や人によって、市場とは別のつきあいの場、“界隈(かいわい)”をそれぞれが作れればいい」  「成長なき社会」とは、いったいどんな社会なのか。移動も活気もない、ヨーロッパ中世の暗黒時代?  水野さんはその見取り図を「労働時間短縮とワークシェア」とゆるくイメージ。中野さんは「低成長で雇用が確保できるのか。うまく想像できない」。鶴見さんは「『成長はないが幸せな社会とはこんな社会』と明示できないことこそがむしろ重要。共産主義じゃないんだから」と話した。  「ユートピアを構想する者は、そのユートピアでの独裁者だ」。そう語ったのは、20世紀を代表する政治思想家ハンナ・アーレントだった。(近藤康太郎)